カテゴリー「健康・やまい・医療」の記事

2009年10月21日 (水)

緩和医療

・・・ 2002年(平成14年) 1月 ・・・
かつて大腸がんの手術を受けた地元の総合病院で、″「上咽頭がん」の疑い濃厚 ″を通告された私は、その病院の紹介状を持って がん専門病院 を訪ねました。

どうか誤診でありますように!・・・しかし、その一縷の望みも断たれて・・・再び、がんの告知を受けたのです。
大腸がんに続いて二度目の告知でした。

がん患者にとって「辛い事」 ⇒ 文字通り 「死ぬほどつらい事」は、

※ がんの告知を受けた時
※ 治療の中止を知らされた時 ・・・です。

知らされる患者は勿論のこと、知らせる医師もきっと辛いと思います。

※ 治療の中止を知らされた時 とは、
抗がん剤等 ありとあらゆる治療を尽くして来たが、「その効き目も限界となり、これから先の治療方法が無くなってしまった。」 と云う 医師からの通告を受ける時です。

~~~ 私は未だその様な通告を受けたことはありませんが、「その時」になったら どうするか?・・・時々考える事があります。 ~~~

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入院して本格的な放射線治療が始まった頃、・・・ そう、それは2002年2月中旬でした。
放射線病棟の、たしか三階だったと思いますが、検査のため「MR室」に行く途中 綺麗に手入れされた広々とした中庭が目に止まりました。

梅の花が寒さに耐え震えながら、少し咲きほころんでいた頃でした。
「これから先、いったい俺はどうなるんだろう?」・・・私もまた、震えおののいていました。

大勢の同病者が周りに居て寝起きを共にしていると、無言の中にも励ましの気持ちが湧いてくるものです。
そのような仲間達の支えで、私にもやっと緊張感がほぐれてきた頃でしょうか・・・気になっていた中庭に行ってみたくなりました。

一階の放射線病棟につながる細い廊下を少し進むと、左側に中庭に入るドアーがありました。
そしてその廊下の奥に別棟があって、その建物が「緩和ケア病棟」である事を知ったのは、それから数日後でした。

入院前の精密検査や治療のための綿密な準備期間、そして入院して治療を受け退院するまでの長い病院生活を通して、周りの状況にも詳しくなりました。

1月から6月まで、この中庭で私は多くの花にめぐり合いました。

梅の時季、紅梅と白梅を交互に見ながら顔を近づけては早春の匂いを感じ取りました。
桜の時季、暖かい春の陽ざしが私の心にも射し込んできて、生きる勇気をもらいました。
色とりどりのチューリップの競演を長い間しゃがみ込んで見とれていました。時を忘れて。。。

(今、わが家の小さな花畑には一週間前に植え込んだパンジー、ビオラが元気に咲いています。・・・花達はこれから寒い冬を肌で感じながら、やがて春ともなると、更に生き生きと輝きを増すのです。。。)

そう。 そうなのです。
この中庭にも ひと冬を越したパンジー、ビオラが元気に美しく咲いていました。
辛い冬を体感してきたのにその様な事はおくびにも出さないで、陽光の中、にこやかに笑顔を振りまいていました。

いつもパジャマ姿で歩いていた私。
中庭には築山や池があって、車椅子の人が一人佇み ゆっくりと泳ぐ鯉を見ていました。

気が付きませんでした。
声も掛けずにそっと後戻りした私。。。それで良かったのかどうかよく分かりません。
私もまた、恐怖におびえ落ち込んだままで治療を受けている身です。
車椅子の人の状況をハッと感じ取った私は、そのことがあって以後中庭には決して入ろうとしませんでした。

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「もう これ以上治療する方法が無くなりました。」

私は延命治療は望みません。
その時点で自分の生に見切りをつけて、遠からず来る今生との別れを少しずつ自らに納得させながら、安らかな死の準備、家族との悲しい離別に耐えられる準備をしたいと思います。

私が終末期に於いて、例えば気管にチューブを入れなければならない時にも 「それはやめて欲しい」と、はっきり云いたいと思います。
それが、たとえ栄養補給のためであっても 「その様な点滴はしないで欲しい」と、云いたいと思います。

私は緩和医療でお世話になる医療機関に或いは民間のホスピスに対して、きちんと詳細にこの事を文章にして託して置きたいと思います。

私にとって治療方法も無く急速に「体もこころ」も衰えていく時に、苦痛を軽減してくれる治療であれば喜んで受けたいと思います。
痛く危険な思いをして体のあちらこちらにチューブを付けて生きるのは辛い事です。
人工呼吸器で呼吸が楽になるよりもモルヒネで楽になるのであれば、是非モルヒネの投与をお願いしたいのです。

最後の最後まで苦しみながら生きる(生かされる?)そんな病院 真っ平だ! hospital run

ついでに、私は「脳死は人の死ではない」と考える立場の人たちとは組しません。
私は「脳死は人の死」だと思っています。 だって、脳から「呼吸しなさい」と云う指令がもはや出ていないのに呼吸し続けるのは 人工呼吸器 を付けているからであって、これでは「生かされている」のであって、自力で生きていることにはならないからです

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今、「がん対策基本法」が出来て、緩和医療についての考え方が変わってきました。

かつて緩和医療とかホスピス医療と呼ばれた頃、治療を目的とした医療ではなく症状を和らげることを目的とした末期の患者に対する医療であったのですが、最近は、がんと診察された初期の段階から「治療と並行して緩和医療も行なわれるべき」という考え方が定着しつつあるようです。

体に発症したがんそのものの根治と、がんに因ってもたらされる様々な肉体的・精神的疾患を診てもらえる様になり、患者としては大変喜ばしい方向に向かっていると考えます。

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てつのつぶやき:

緩和医療の事については、まだまだ話し足りない気がする。
例えば僕の場合、「家族とのかかわり」についてである。

僕は畳の上では死にたくない。
病院やホスピスのお世話になりながら彼岸に行きたいと考えている。
僕が自宅に居る事で、今以上の苦しみを家族に与えたくないから。
家族の者が僕の苦しみを日々 脇で見ながら、一方で同じように僕もまた、そのような家族の苦しみを見ながら死んでいくなんて・・・双方にとって、二重、三重に・・・こんなに心苦しく悲しいことはない。

ところで、緩和医療は(それが病院にしろ、民間のホスピスにしろ、)保険の適用が認められているそうだ。
がん患者の医療費についても考えて行きたい。
がん患者だけの問題ではないが、一人ひとりが無駄な医療費を掛け過ぎて医療崩壊を招いているのは明らかであると思う。)

~~~~~~~~

そうそう・・・
僕は今こうして書きながら思ったのだが、、、
今だったら池の鯉の傍で車椅子の人の話を聞いてあげられるような気がする。
勿論 それは語り掛けられた時のことであるが。
花を見ながら、二人で花たちに語りかけながら、、傍に居て支えてあげられるような、、、気がするのである。

このような 「パンジー」や「ビオラ」の可愛い笑顔を見てもらいながら・・・ね。 down

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dash dash dash 

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2009年10月17日 (土)

癌...謙虚に共存

3人に一人が癌で死亡するという今のご時勢。

今でこそ偉そうなクチを聞いている私ですが、
大腸がんを克服して4年後、今度は上咽頭と頚部リンパ節に新たな癌が見つかった時、私の頭はパニックになりました。

死が近いことを感じました。

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先日、CDに読み込んでいた懐かしい写真を見ておりました。
7年前 放射線と抗がん剤の治療を終えた時、自分に与えられた命が長くない事を悟って「連れ」と旅に出た折のアルバムでした。

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↑ この2枚の映像は「2002年9月11日」のアルバムです。
この年の1月に癌が見つかり、入退院を繰り返しながら6月に治療を終えて、3ヵ月後に訪ねた黒部峡谷・黒部ダムです。

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↑ トロッコ電車から、そして 高いダムの上から、、或いは飛沫に浮かび上がった虹にクラクラッと吸い込まれるように、身を投げ出す事もしないで・・・無事に帰ってこられたのも連れのおかげでした。crying

また 翌年7月には、 down  がん患者が頼りにする秋田の玉川温泉に出かけては生きる力を養ったりもしました。

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↑ 1ヶ所で 9000リットル/分も湧出する98度の熱湯に・・・いや、飛び込みませんでした。
↓ ゴザを敷いて岩盤浴もしました。
二度三度と病魔の存在にすっかり怖じ気付いていた状態でしたから、 大の字 とは程遠い くの字 の格好で寝ていました。
生きたいという熱い願いが地熱と共に湧いて来ました。

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何処へ行くにも、連れと交替でポンコツを運転し、良い思い出がつくれる様な旅を心がけました。 

今、あれから7年が経って、、こうして体もこころも強くなり、、、元気に過ごせていることに感謝するのみです。

ear・・・sign01・・・そりゃ、そうです。。。連れには感謝し尽くせません。
でも、最近は一緒に旅行しなくなって・・・coldsweats01・・・
連れはおしゃべり仲間と。そして、私は気ままな一人旅が良いからと自由にしています。note confident

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癌に限らず、病気なんて・・・喉もと過ぎれば・・・何とやら・・・になってしまいがちです。
気を付けなければなりません。

私は、癌に対して頑張ろうという気持ちは無いけれど、共存している事実は謙虚に受け入れ、しかし ゼッタイに「自分 主導」で生きていかなければと常にそのことだけは忘れないようにしています。

つまり、 癌に構っていては居られないのです。

私は思うのです。。。共存してはいるけれど、所帯主は私だと。
癌のヤツは大きな存在だけれど、居候に過ぎないのです。。。

確かに、私の体内に癌が入り易い環境を作ったのは私自身だけれど、私が死んでしまえば癌のヤツだって死ぬんだし、、、そうなるってーと、、、癌も辛いだろうな、、、
(いや...なーにね。 実は癌患者になって...私は癌に学ぶ事ばかりでしてね・・・だから私は感謝もしている・・・長い付き合いだからね。。。)

私の今日の結び:
癌なんかには気を使わないで、私主導の 「MY WAY」を突っ走るだけsign03

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てつのつぶやき:

写真を見ながら当時の辛かった事を少し思い出してしまった。
ちょい、オノロケまで披露して m(_ _)m

はずかしか。 (´Д`)ゝ

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2009年9月20日 (日)

名医

先日、38年間に亘って「がん」の研究と診療一筋に携わってこられた医師の講演を聴く機会がありました。

牛尾 恭輔 先生。
九州大学医学部卒業後、国立がんセンターに27年間在籍された後、九州がんセンターに赴任されて11年間、院長として日本のがん治療の先頭を切ってこられた方です。
今年4月からは九州がんセンターの名誉院長として後進の育成や研究を重ねられています。

ご専門は「放射線医療」です。
偶然にもご縁のある病院で放射線治療を受けた私としては、講演の内容は大変興味深いものでした。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+=====:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;:+*+ happy01

ear・・・sign01・・・
実は、この先生、、私の高校時代の同窓なんです。
年次は2年違いますが、私たち同窓は皆 世代を超えて、校舎の目の前に広がる玄界灘に青雲の志を重ね、玄界灘の荒き怒涛を 沸き立つ血潮として青春を謳歌してきました。note

今日 ここで名医として牛尾先生をご紹介する訳は、医師としてのキャリアとか多大な実績とかではなく、ましてや・・・あはは.....同窓生だから・・・という事ではありまっしぇん。

===それにしても、患者という者はわがままで厄介な存在です。=== (;;;´Д`)

手術や治療を無事に終えて生還した後、再発や転移が無い限り患者は次第に病院から遠ざかっていくのが通常であり、また当然「そう」あることは大変喜ばしい事なのですが・・・。
・・・でも、(患者としての心情を吐露するならば) 「退院したきり その後の状況のフォローが無いと、何だか病院から見放されたような気持ちになって 、それは正に「がん難民」と云われる様に、家庭に在っても先々の転移や再発におびえながら不安の中で身の置き所の無い生活を続けていかなければなりません。

「完治・寛解」とは云っても、がんと云う病の特殊性から、それは一時的なものであると考えられるし、病巣を徹底的に叩き終えたという安堵感に浸れないまま、患者の心はいつまでも平常心ではいられないのが事実です。

不安なのです。
病院を離れたら、離れたで、、・・・その事が不安なのです。
病院と繋がっていたい。。。という気持ちがある。。。と云ったら可笑しいけれど。。。

それは、この病魔から一時も早く「解放されたい」 「救われたい」という辛い胸の内が、ホッとする心の避難所を求めているのに等しいと思うのです。

退院した後の家庭というホットな空間は確かに安心に満ち溢れてはいますが、不安の解消にはなりません。
病院に行く必要はないけれども、相変わらず患者は病院に居るというだけで得られた(妙な?)安心感を必要としているのかも知れません。

(上手に言い表せないのですが)これから先、患者は病院から発信される様々な「安心情報」を必要とする時代になるのではないかと思います。

以下にご紹介する牛尾先生の「癒し憩い画像データベース宣言」はこの様な情報の一つとして患者にとっては大変嬉しい事だと思います。

=== ☆*:;;;;;;:*☆*:;;;;;;:*   lovely  ☆*:;;;;;:*☆*:;;;;;:* === down

九州がんセンターの牛尾先生は、この様な患者の気持ちを察している名医です。

がん専門の医療機関としては他に例を見ない(と、私は思っている)「癒し」のホームページを開設されています。 

http://iyashi.midb.jp/declaration.php 「癒し憩い画像データベース宣言」

↑ 是非クリックして見て下さい。

冒頭、 牛尾医師の「趣旨宣言」と共に、10万以上の癒しの画像、動画、憩いの音楽などを楽しむ事が出来ますよ。 ~~~~~~~~ heart ~~~~~~~~

‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

てつの つぶやきかがやき

九州がんセンターのHPには、患者に対する「思いやり」が溢れ出ているのを感じる。

五感を気持ち良くする「波の音」「そよ風」「星の瞬き」「砂浜を裸足で歩く」「音楽」。。。どれもこれも、特に病後の体には良薬だ。

俺も牛尾先生には負けないぞ~!

「花」。
花のこころは奥が深い。人のこころに似ている。
しかし人は見習わなければならない。
花は無言のうちに 優しく 美しく 慎ましく 語ってくれる。
かがやく花。
これからもドキドキしながら花を見つめていきたい。
ワクワクしながら花めいて生きてみたい。

わが家の小庭  ワクワクどきどきの花たち 

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ニューギニア インパチェンス

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りんどう

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 confident 

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2009年8月29日 (土)

白いシャツ

タレントの「うつみ 宮土里」さんが、御自身のファッションについて投稿された記事を最近読みました。

うつみさんの究極のファッションは、″白いシャツを着て、幅広のベルトをキュッと締めたジーパン姿 ″だそうです。

お歳は僕なんかよりもずっと上だと思っていますが、何と素晴らしい方だろうと惚れ直しました。 (*^.^*)

僕は勿論まだ若いです。 (´Д`)ゝ
ear・・・ sign01・・・ ハイ...気持ちの上では青年です。 年齢?... “ あら還 ”...です。happy01
精神年齢は “ あらフォー ” 以下で、実年齢は “ 55歳~64歳 ”の凡そ・・・あら還暦だと自負しています。

「自分は若いんだsign03」 と思って、少し誇張でも良いから、そのとおりに生きようとする人は年を取るごとに若くなって行きます。
本当だからお試し下さい。

「自分は病気持ちだから・・・」と、いつまでも シュン としていては加齢と共に downwardright 落ち込んでいくようです。
生きようとする人の気持ちを徹底的に否定して「NO!」と言い張る病に対して、その万分の一つでも「YES、 I CAN !」 と振舞って生きて行ける術はないのか?。。。

===無慈悲な病魔に屈することなく、僕はそのことばかりを考える。===

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もう少し秋めいて来たら僕も 宮土里さん に習って、白い長袖シャツにジーパン姿で颯爽と歩いてみようと思っています。

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↑ ↓ 「セイロンライティア」と云う純白の花です。

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赤色や黄色の系統が多い小庭の花たちに混じって、その輝きにホッとする清々しさが漂います。
うつみ 宮土里さんが仰るとおり、我が箱庭でも白いシャツを着こなした花が究極のオシャレを演出しています。

そうそう・・・ ^^^^^^^^ ^O^ (・_・) ^^^^^^^^ ・・・ 「白」 と云えば・・・

今年春先に植えた「クチナシの花」のことですが、とうとう花は咲きませんでした。
花木センターの話によると、どうやら 「追肥を怠った」為ということです。

でも枯れてはいませんから、来夏に期待しようと思っています。

note note 「白い花」が咲いてた。。。 note note note。。。だなんて 懐メロ もありました。
かと思うと・・「青いシャツ着てさ...海を見てたわ」だなんて ピンキーの歌もあったっけ・・coldsweats01

「白いシャツ」 ・・・ 宮土里と僕の秋のコレクション・・・もう直ぐ! デス。

   

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2009年8月24日 (月)

年間医療費

えーと・・・、
ここには今年僕が病院に支払った医療費の実際がシツコク記載してあります。
だから、適当に無視してお読み下さいませ。ヾ(_ _*)ハンセイ・・・

例えば、朱色だけを拾い読みするとか・・・。 m(_ _)m

========

高齢化社会が急速に進む中、国民一人当たりの医療費もまた年々増加の一途をたどっているそうです。

先月 厚労省から発表された平成20年度の「医療費の動向」によると、国民医療保険などの医療保険と公費負担医療の対象となる医療費の総額は34兆1000億円となり、6年連続で過去最高を更新したということです。

国民一人当たりの年間(平均)医療費にすると、「26万7000円」です。

日本には「国民皆保険制度」というのがあって、国民の全ては必ず何らかの健康保険に加入しなくてはなりません。

例えば僕のように、
20年以上サラリーマン勤務を終えて退職した者は、現在「国民健康保険」に加入していますし、サラリーマンOBでなく、自営業や農業に携わっている人達も「国民健康保険」に加入しています。

現在サラリーマンの人達は、所属する会社の「健康保険(組合)」や「政府管掌健康保険」に加入していますね。
そして嘗て僕がそうであったように、20年以上勤務して退職すると国民健康保険に切り替わリます。

現状、病気になって医療の世話になる人の殆どは、この様な保険を使って医療費の3割を自己負担として病院に支払います。
そして、残りの7割の医療費は納めた保険料から支払われるという仕組みになっています。

:;;;:+*+:;;;:+*+:;;;: +++ hospital +++ :;;;:+*+:;;;:+*+

前置きが長くなってしまって~~~ coldsweats02 ~~~

~~~ さて。。。ここから先は、僕が 今年支払った医療費 の話です。~~~

今年も、年に2回受けている「上咽頭と頚部の定期検査・診察」が無事に終わって、もう年内に がん専門病院 に行く必要はありません。

そして、高血圧症で3ヶ月ごとに通っている地元の総合病院には、再来月(10月)に行けば今年の病院通いは終わりです。

やれやれ、癌のヤツも境界型の高血圧もどちらも症状は落ち着いているとは言え、″病院に行かない ″という訳にも行かず、それなりに「おカネ」が掛かるのです。

(・・・一昨年、思いがけず食道にポリープが見つかり・・・)
その一年後の今年は、心配だったので再度 食道・胃・十二指腸検査を受けたり、3年振りに大腸内視鏡検査をしたり、胸部2面のエックス線検査を受けたり、血液検査で腫瘍マーカーを確認したり等、神経質に?用心の為の検査を行なってきました。

そのような事から、残り12月までに何事も無ければという前提で、今年1年間の医療費を計算してみました。

☆1  がん専門病院の医療費: 自己負担(30%) ⇒ ¥23,100.-
                     保険負担(70%) ⇒ ¥54,000.-
                     医療費計(100%)⇒ ¥77,100.-

 医療費計(自己負担分と保険負担分) 「77,100円」のうち、食道・胃・十二指腸・腫瘍
  マーカー・大腸の精密検査費が約「50,000円」(65パーセント)を占めていました。
 (次年以降~しばらく、費用の発生はないと思います。 ← そう願っています。) 

 この病院での主たる医療である、6ヶ月毎の上咽頭・頚部リンパ節の医療費は「14,000円でした。

 普通の歯科医では治療が心配な歯・歯根の治療代が「13,000円」でした。
 (治療は終わりましたので、来年からは発生しません。)

☆2  総合病院での医療費: 自己負担(30%) ⇒  ¥6600.-
                   保険負担(70%) ⇒ ¥15300.-
                   医療費計(100%)⇒ ¥21900.-

 医療費計(22,000円)の内訳は、年4回の 循環器科(血圧)での費用が「18,000円」で、耳鼻科での診察・薬代が「4,000円」でした。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо・・・この結果、

平成21年(1~12月)の僕の医療費は(☆1 + ☆2)で

 自己負担:「29,700円」
 保険負担:「69,300円」
 ===========
 医療費計:「99,000円」

===比較する年度が約1年ずれますが、敢えて比べて見ると===

僕の年間医療費「99,000円」 。
国民一人当たり年間医療費「267,000円」。(がん患者だけではありません。)


国民一人ひとりがいろんな病を抱えて、その「病と医療費の支払い」にダブルパンチで苦しんでいるのですが、医療問題をいろいろ調べている内に、どこかが・・・何かが・・・オカシイsign03 と感じられる点が沢山浮かび上がってきました。

次回から、こういった医療費の問題点を僕なりにほじくり出してみようと考えています。
真っ赤に燃えて訴えたい事もあるし、患者として冷静に反省もしなければならない事もあります。

♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;: ↓ 「ちょっと冷静になりたい」 のコーナー ↓ :;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪

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2009年8月20日 (木)

がんマン と 医療費。

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up 今日もこの美しい夕陽に背を向けて、オマエさんはいったい何処へ行こうとしているのだ・・・。

ear... ... 俺かい? 余計なお世話よ。。 オレの事は放っといてくれ。。。

思い出すぜ・・・大腸がんで腹を切って、もう かれこれ12年になるから早えーもんだ。
と・こ・ろ・が・だぜ、・・・全く。 神も仏も在りやしねえ~たぁ この事よ。。兄弟。。。think
・・・ヤレヤレと思いきや、その5年後に、、今度はオメエー、、、思いがけないところに生きのいいヤツが巣食いやがってよっ!

その頃の俺はよ、身も心も傷だらけの手負い猪に等しく、全てに望みを絶たれた虚ろな男でござんした。

美しく沈む夕陽も、眩しく昇る太陽も、俺にゃ一切関係無えーと思っていた頃があったと思いねえ~。

そうよ。 俺は 沈む太陽に背を向けて生きるしかない 「夕陽のがんマン」 だったのさ。 crying

288396← こいつは「-続- 夕陽のがんマン」(地獄の決闘)に主演で出た時の俺だ。
クリント・イーストウッドなんかではない。

大腸がんの時には50日の入院と30日の自宅療養の後、再び 賞金稼ぎに出たが、上咽頭と頚部リンパ節の時にはもうこの様な荒稼ぎも出来なくなり、ただただ、シャバでノタ打ち回るボロボロのガンマンに成り下がっていた。

(このあと俺は、某患者会の存在に支えられる事になるのであるが。・・・)

いま俺は完全に立ち直った。

腰には、拳銃に代ってデジカメを下げている。

相変わらず賞金稼ぎが出来ないで居るので時々退屈だなと思うこともあるが、清貧に徹し、現状をありがたく受け入れて暮らしていけることの幸せをかみしめている。

だから・・・俺はもう良い。 
ただ 例えば、子供もまだ生育途上にあって、学費ほか生活費に加えた医療費にカネが掛かる働き盛りの「がんマン」も多いはずだ。

===何だか政治が変わりそうな気配 濃厚 gawk ======== note
ここらで大転換を期待したい!(俺はずーっとダマサレ続けて来たから)

医療関係がどう変わるのか?。特に 「がんマンと医療費」の問題に注視して行きたい。

○o。+..:* ~~~~~ hospital ~~~~~+..:*○o。

医療問題については気になる事が沢山あるので、次回 書かせてもらうぜ。
気まぐれな 夕陽のがんマン の -続編- ・・・拳銃 抜くぞsign01 果たしてどうなる・・・? 
(;;;´Д`) ..あせ..

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2009年8月12日 (水)

残暑お見舞い申し上げます。

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小庭に咲く 夏バテを知らない ↓ 「チュラピンカ」 です。

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では。lovely

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2009年7月30日 (木)

メタボリックシンドローム

「がん」 という病気が如何に恐ろしい病であるか、今や誰もが知っている事です。

その怖さは「二人に一人がこの病に罹り、三人に一人がこの病で命を落とす」というデータが示しているとおりです。

罹患の原因としては、不摂生な食生活、過度の喫煙、飲酒、ストレスの蓄積など、生活習慣から来るものが挙げられています。

======== hospital ========

先月、(がん検診とは別に)市が奨励している通常の「健康診断」を受けてきました。
サラリーマンの頃は年に一回 職場で受けていましたが、最初のがんを罹患して退職してからは初めての健診でした。

(診察後1ヶ月経た先日、検診結果通知書 なるものが市役所から送られてきました。)

診断結果で気になっていたのが、「眼底検査」「C型・B型肝炎ウィルス検査」「肝機能検査」「メタボリックシンドローム」のことでした。

おかげさまで「メタボリックシンドローム」以外は健康とされる基準数値を満たしていました。

但し、血圧については降下剤を服用して20年以上になり、この日も高血圧の数値が出たのはやむを得ないのですが、実は 「メタボ」の判定基準の中に血圧の数値が係わってくるということを始めて知ったのです。catface

ま、ま、ま、、、百聞は一見にしかず。 down ご覧下さい。

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↑ 「メタボ」であるかどうかを判断する場合、「肥満」「高血圧」「脂質異常」「高血糖」の4
  つを個々に判定して、基準値からはみ出したものが2つ以上あれば・・・「メタボ患者」
  ということになるのだそうですね。 
 

幸いな事に、僕は「メタボ予備軍」でした。

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↑ 「メタボ」の判定は腹回りを中心とした内臓脂肪が多いか少ないかだけを捉えて
  判断されるとばかり思っていただけに、“なーんだ、そういう事か。” と一つ勉強した
  次第です。 ~(°°;)))
  「メタボリックシンドローム」の和訳が 「内臓脂肪症候」になっている訳が良く判りま
  した。

↑ 「B M I」 という肥満度を示す「体格指数」は、生活習慣を改めるには役に立つ指数だ
  と思っています。(体重と身長の兼ね合いでメタボか否かを簡単に判断できます。)

・・・・・・・・↓ 卑近な例で申し訳ありません。 ・・・・・・・・ (汗) 

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「B M I 」の標準値 「22」に比べると 僕は「20.2」だから、チョイ痩せ型です。
腹囲の標準 男「85 未満」と比較すると、1cmだけオーバーしますが、これは消化器系の病持ちだからかな?、と思っています。

それにしても“予備軍”の僕も含めて、紛れもなく「内臓脂肪症候群」の一人だと自認される皆様方( ← シツレイ )にとって、上記 メタボの基準値には厳しいものがありますよね。

しかし、予備軍でも正規軍でも、「軍の規律」は厳しいのが当たり前なのです。
何事も数値目標はシビアに設定しておいた方がよろしいのです。
・・・・・ 特に ・・・・・ 健康管理 ・・・・・  については、ねっsign01 ・・・・・ ( ^ω^ )

・・・・・ 最近 異常気象で雨風の日が多く、僕も運動不足が続いています ・・・・・

メタボ解消には 「食べて大いに運動する」。。。事がとても大切のようです。

飛んだり跳ねたり走ったりの運動でなくても、「1日1万歩のウォーキング」 或いは、体力不調であれば 「1日20~30分のウォーキング」をゆっくりで良いから、毎日続けたいと思います。

僕のような高血圧症にとっても「毎日歩くこと」で血圧が安定すると云われています。

悪い生活習慣を改め、先ずは歩く事で病気に負けない体力を作っていきたいと思っています。

・・・・・・・・

てつのつぶやき:

40代から70代前半の男女で、二人に一人が「メタボリックシンドローム」の疑いがあるそうだ。
そして約3割が糖尿病の疑いがあると聞く。

4つの判定基準のうち、「高血糖」には特に注意を払う必要がある。
「血管障害」や「免疫力の低下」を引き起こして「動脈硬化」「心臓病」「脳卒中」にかかりやすいと言う事を新聞で読んだ。

“「糖尿病」は一度発症すると生涯治らない病” と云うから、「がん」にも似た危険な病といって良い。

嗚呼、、、
    「メタボリックシンドローム」(内臓脂肪症候群) ⇒  恐るべし sign03

======== down 日日草で 気分転換 しよう。  gawk  ========

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2009年7月16日 (木)

上咽頭がん 定期診察

昨日は6ヶ月振りに上咽頭の診察を受けてきました。

頭頚科と放射線科の二人の主治医による首筋(リンパ節)の触診と、鼻からファイバースコープ(内視鏡)を通して周辺を診る検査です。

おかげ様で何事もなくホッとしているところです。

一連の検査を終えた後、主治医の横に座って幾つか話をしました。
この主治医は放射線科の先生で、治療に当って計画を立てる段階から入院中に於ける様々な症状のフォローまで大変お世話になりました。

センセ:
 (カルテを見ながら) ″もう丸7年になりますよ、Aさん。 ″

Aさん:
 (まだ6年だと思っていたボク) ″え~~ もうですか? ありがとございます。″

センセ:
 (この主治医、無口で ややツッケンドンなとこ有り)
 ″で、今後も・・・・・・・・ も少し様子見ましょ ・・・・・・・・ ″

ボク:
 (当然でしょ、センセ) ″ こうして6ヵ月ごと診ていただくだけで、安心なんです。″

センセ:
 (パソコンに向き直って) ″6ヵ月後・・・来年1月20日 大丈夫ですかぁ...? ″

ボク:
 (毎日 ヒマじゃよ!と思いながら) ″空いてます。宜しくお願いします。″

==たったこれだけの会話なのに、いいセンセだなって思って帰ってきました。==

~~これで 上咽頭の余命がまた6ヶ月に伸びました。 嬉しいです。~~

...。oо○**○оo。... down 小庭の花も喜んでくれてるみたい。...。oо○**○оo。...

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↑ 4つとも 「カリブラコア」 です。
でも 左上段の花 だったかな・・・ラベルには 「ミリオンベル」と書いてありました。

「ペチュニア」の花にも 色・形が 種々あって、カリブラコア や ミリオンベル との見分け方がイマイチ僕には分かりません。

↓ これが ミリオンベル でしょうか?
  それにしても.....ミリオンベル .....何という優雅な名前なんだろう・・・。

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↑ ↓ この二つは カリブラコア って云う ラベル が付いていましたが・・・。

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↓ これって、まさか??・・・ ペチュニア・・・ですか?

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ああー、 では  ↓ これは ↓  ???

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何がどれでも...それが何でも...そのような事はもう、どうでも良い事です。
心に 美しく 可憐に 芳しく 艶やかに 咲いてくれる花。 花は全て好き。 lovely

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2009年7月 2日 (木)

大腸内視鏡検査

昨日、大腸の内視鏡検査を受けてきました。 おかげ様で、結果は良好でした。

長さ 約1.5m 太さ 約7cm の中空の大腸はポリープ一つありませんでした。

今回は3年ぶりの検査でした。
前回の内視鏡では横行結腸にポリープが見つかったので、実は今回 とても憂鬱で心配していたのです。

僕はがんという病は本当に性質(タチ)が悪いと思っていて、コイツに負けないで上手に付き合っていくには、コイツを早いうちに発見して増長させない事だと考えています。

今回の検査も医師から勧められた訳ではなく、自覚症状があって受診した訳でもありません。
「早期発見」を心掛けて実行したのです。

・・・・・・・・

「先手必勝」という言葉がありますが、例えば、がんを呼び込むような偏食・暴飲・暴食の食生活を止めて、がんに侵されない体質作りを普段から心掛けるべきなんですね。

「攻撃は最大の防御なり」という言葉もありますが、がん細胞をどれほど徹底的に攻撃しても再発や転移の危険性を常に抱えている病気なので、おそらく″がんを壊滅したぞ! ″という安堵感や喜びには何時まで経っても浸る事ができないと思います。

手術にしても、抗がん剤や放射線治療にしても、がんに対しては一時的に攻撃を仕掛けて一時的に効果が期待出来ただけで、防御には全くなっていないと僕は考えています。

そして、がんが動き始めて大事に至らない間に、その「早期発見」に努めることこそが最大の防御になるのではないかと思うのです。

↑↑ 患者になって、今さら偉そうな事を言っても始まらないけれど・・・ (;;;´Д`)

========

ところで、僕は大腸がんの手術を受けて11年になりますが、術後 4~5回の内視鏡検査を受けています。

本日は、今回の検査で体験した「下剤」のことで少しお話します。

Photo_2← これは検査当日の朝、病院で支給された下剤です。
「マグコロール」と云って大腸検査専用で、レモン味がする 1800ml の下剤です。

前日就寝前に別途下剤を 2錠 飲んだ後、当日は この下剤 1800ml を1時間掛けて飲みます。

普通の人ならば1時間の間に効果が出て来て、内視鏡検査が出来る状況になるのですが、この日の僕は普通の人ではなかったのです。

1800ml を飲み終えても、ウンともスンとも時間内の効き目が全く無く、右下にある紙コップ(これがデカイコップでねぇ~)これを 2杯も お替りしたのですが、“検査OK”のところまでには到達しません。

こんな事は初めてです。 ( ̄Д ̄;;
看護師さんも呆れて医師に相談していました。

医師の判断は、「もう下剤は十分飲んだから今度は浣腸しよう」ということになりました。

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「浣腸」と聞いて慌てたのは僕です。
浣腸なんて子供の時分以来した事がありません。

あのイチジクに似たものとばっかり思っていたら、、、違うのです。
「高圧浣腸」と云うヤツでお湯状の液をお尻から2~3分?注入して便意を催す5分間を待ってトイレに駆け込むのです。

看護師さんも大変! 可哀想。 (´д`)
この浣腸を2回もやってしまったからボクも大変でした。

やっと医師の許可が出て午後2時から内視鏡検査が始まりました。
朝9時半に下剤 マグコロール を飲んで無事に検査を終えたのが2時半でした。

検査に要した30分間、僕は医師の真剣な顔の表情、手の動き、言葉使いに、ややもすれば不安になり、頭上のモニターなんぞ見ては居れませんでした。

真っこと検査は厭なもの。
しかし、しかし、、そのいやな検査を先にしようが、後に引き伸ばそうが、結果は結果として必ず出てくる。。。
早く検査の結果を知って、その後の処方をじっくり考えた方が得策ではないのか?

(ボクには「先憂亭 後楽」と云う、高座に上がったらの時に使う名前があるんです。)

・・・・・・・・こうして

ほぼ一日がかりの検査を受けて、“ふらふら”になって帰ってきました。

人によって体質が違うし、日々の体調だって気分の持ちようで大いに変わる事だってあるし、(下剤の効き方が長引いた事を)あまり気にしたって仕方がないと自分で慰めています。

でも何てたって、3年ぶりの検査で腸内に何事も無かった事が嬉しくって小躍りしながら帰ってきました。
コンビニで、握り飯一つと大好きな納豆巻きを二つ買って空腹を満たしました。

========

大腸に関しては、また3年後に検査を受けようと思っています。

大腸がんについては余命が3年に延びました。
良かったです。note

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2009年5月27日 (水)

五月病

・・・今も昔も変わらないのですが・・・ 4月、新しい環境への期待に胸を膨らませて希望の会社や大学に入ったフレッシュマン達の中には、・・・5月、ゴールデンウイークを過ぎた辺りから今頃にかけて・・・その環境に適応できず、無力感や脱力感に襲われる人達が結構多いのです。

五月病とは、
そのような張り詰めていた気力が萎えて、新しい環境への適応障害が見え始めるこの時季の症状のことを云います。

「気合が入らない」 「集中力が無い」 「疲労感を拭えない」 「睡眠不足に陥る」。。。等々の症状があるようです。

earear・・・?・・・あ、僕ですか?
集中力も気合も十分なんですが、相変わらずの睡眠不足で疲労感が少し漂ってるかも。(´・ω・`)

・・・・・・・・

今朝は4時半に起床して、5時前には外に出てウォーキングしてきました。
4時過ぎる頃には枕もと近くのフェイジョアの木で雀が鳴き始めます。薄々と明るくなって蒲団の中で悶々としているよりは・・・そう思って家を出て、約2時間歩いて来ました。
と云っても、腰に付けた コンデジ(コンパクトデジタルカメラ)で途中あれやこれやをシャカシャカ撮りながらですから、それほど歩いたわけでもありません。

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この ↑ コースは、今の時季は左が麦畑。右は.....(ビニールで覆われていて)何だか分かりません。
細い農道ですが一直線に、どこまでも長く伸びる道です。
(前方に見えるような)大きい木々のトンネルがあったり、ウグイスやキジの鳴き声が聞けたりという 田舎ならではの気に入ったコース です。

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道端に群を成して咲いている花は ↑ 「ゴデチア」 です。つぼみも可愛い。

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農家の庭先に咲いていた「カラー」の花。 ↑  カラーの花は 白 が一番好き。

・・・・・・・・

こうして早朝の2時間を気持ち良く過ごすことができました。
 
睡眠不足の中、久しぶりの朝の散歩が効いたのでしょう、、朝食後まもなく、、、敷きっ放しの蒲団に潜り込んで爆睡してしまいました。 sleepy sleepy

それにしても この しょぼくれた目・・・何とかしたいもの。  ゚゚(´O`)°゚
その目に再び活力が蘇るのはいつになるのでしょうか? eye

・・・・・・・・

てつのつぶやき:

5月はがんで亡くなられた有名人が多かったように思う。

5月2日:
忌野 清四郎 さん ロックミュージシャン。 がん性リンパ管症・左腸骨がん。
喉頭がんを克服したとの報道であるが、転移では・・・と勝手に思っている。

5月11日:
三木 たかし さん 作曲家。 下咽頭がん。
大好きなテレサ・テン さん を台湾から世に送り出した人。
てつが男ながらに歌う「つぐない」は居酒屋の仲間達にも抜群の受けだ。 note (*^-^)

5月17日:
頼近 美津子 さん 元アナウンサー・ニュースキャスター。 心不全(食道がん)

喉頭がん・下咽頭がん・食道がんと聞くと、僕にとって部位が近すぎて心配になってくる。

゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜

皆さん、和みや安らぎや感動をありがとう! 天上に在っても、きらめく星座として私達の心に残り続ける事でしょう。 いつまでも。
ご冥福を慎んでお祈り申し上げます。

゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜゜・。。・゜

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2009年5月14日 (木)

医療情報

ほんとうに便利な世の中になりました。

必要とする医療情報が座したまま瞬時に、的確に、詳細に入手できるんですから。

でも情報が氾濫し過ぎることで反って判断を誤り、対処の仕方にも悪い影響を及ぼすような事にもなるので気をつけなければなりません。

僕は知り得た医療情報の中から特に関心度の高いものをメモして、最終的には主治医に相談するということを心がけています。

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パソコンが一般に普及していなかった頃、どこの家庭にも置いてあったのがこのような「医学事典」でした。

← 私んちのは1990年版の事典です。
20年ほど前に当時勤務先の健保組合から貰ったものですが、2000ページに及ぶ大事典です。("国民医学"と云うのがなんとも古い!)

古いけれども、しかし内容は信頼に足るもので大いに重宝しました。(今も重宝)

今ではパソコン上で必要とする情報を入力・検索すれば済む事ですが、 downwardleft コレは必要とする情報がすでに「CD-ROM」に収載されています。
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「医療ルネサンス」と云うこの「CD」は、1992年5月~2006年6月間に読売新聞で掲載された4000回にわたる医療記事を収録したものです。

当初は確か有料だったと思いますが、現在は無料で読売新聞販売店に置いてありますのでインストールされてみてはいかがでしょうか。
他の新聞を購読されていても大丈夫。嘘も方便。wink

指図どおりにインストールしたら(画面にある赤い矢印のように)デスクトップに表示するのも良いでしょう。

ただ、医療情報も日進月歩で急速に変わっていきます。
現在と事情は異なっているかも知れませんが、医学大事典と同じように古くても有用な情報が満載されていますのでオススメです。(だってタダじゃよ。)

「医療ルネサンス」というコラムは現在も継続掲載されていますので、もちろん自分に適した最新の治療方法等を選ぶ際にはこの蘭を参考に出来ますし、或いはPC上で確認する事も出来ます。

そうそう。
この「CD」はあらゆる病気についての解説・指針にとどまらず、病院選びのコツや治療方法の具体例などが紹介されていて役に立つと思います。

内容の一例ですが、 ↓ 、、、

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♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:♪:;;;:

新しい情報に取り残されることなく今後も積極的に学んでいきたいと思うし、既に古くなったと云われるような情報にだって、むしろこれからの医療にこそ取り入れてもらいたいと思えるようなものもあります。
「新しい医療」「古い医療」にとらわれず、患者の立場として「常に最良の医療が受けられるように」考えておきたいと思うのです。

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2009年3月29日 (日)

セカンドオピニオン

先日、8年前の医療過誤を巡る刑事裁判(心臓手術を受けた女児が死亡した事件)で、担当した人工心肺の医師が一審に引き続き二審に於いても無罪が言い渡されました。

今回の事例は、患者の死亡と医療行為の因果関係を見極めるのは非常に難しいケースであったようです。

結審したとは言え、8年にも及ぶ裁判が「患者側と医療者側」に与えた心理的・経済的影響は並々ならぬものであったに違いありません。

どのような形で結審しようと、親として愛する子供が戻ってくるわけでもなく、医師もまた述懐しているように今さら外科医として元の状況に戻る事も出来ないのですから、双方に深い追い傷を残したまま閉廷ということになるのかもしれません。

・・・・・・・・

僕は、「患者と医師の関係」でとても危惧している事があります。。。それは、
“医療ミスだ” と裁判に訴える患者側に、やむなく医療者側もこれに対峙するという構図が医療崩壊の一因になって行くのではないかということです。

僕には患者と医師が絶えず良好な関係を築いていくための基本的な考え方があります。
それは、「医師は病気を治す専門家であり、この点で患者は素人である。」と云う認識が大事だということです。
但し、医師の皆さんには「医師としての強い自覚と責任感」を持って欲しいという条件が付きます。
更に欲を云えば、この条件は医師になって一朝一夕に身に付くものではないだけに、医者を志した医学生の時から学び体得して行って欲しいと考えるのです。

・・・・・・・・

最近ですが、「病院の実力」と云う言葉を耳にする事が多くなりました。
医療を取り巻く環境の急速な変化の中で、様々な角度から各病院の実体を調査して一般に開示して行こうという取り組みが為される様になったからです。
患者にとっては大変役に立つ情報が多くあって、喜ばしい事だ思っています。

この結果、「医師や病院によって、医療に対する考え方や医療技術や質の違い・・・等々」がある、ということが分かってきました。

この事 ↑ と関係があるのかどうか判らないのですが、いま僕は、患者と医療者双方に「医療に対する意識の変化」が芽生えつつあるように感じています。

一つの事例を挙げると、
「セカンドオピニオン」を求める患者が大手を振って増えたという事です。

大病院に於いては特に云えるのですが、今このセカンドオピニオンのシステム作りが脚光を浴びているのではないかと思うほどです。

患者がセカンドオピニオンを求める際に、今までは「こんな事をしたら主治医から或いは病院側から不利益を被るのではないか」と、遠慮がちであったと思うのです。

症状によっては究極の選択をしなければならない患者にとって、「病院の実力」という情報の開示は今後も有力な味方になってくれることでしょう。

「現在掛かっている病院の主治医から、レントゲンフィルム、CT・MRIのデータその他診療情報書類を取得し、セカンドオピニオンを取りたい旨相談・同意を得た後、他院の専門医にその情報を見せてその意見や判断を聞き、患者自身が自分の治療法を選ぶ際の参考にする」というのがセカンドオピニオンの主旨です。

このような流れが当然の事のように定着して患者・医師双方の納得で安心した治療が受けられれば、冒頭の医療過誤を巡る裁判沙汰も少しは減少するのではないかと考えるのですが。。。

医療は誰のためでもない、患者のための医療だという事を第一義に考えて今後もより良い医療改革を進めてもらいたいと思います。

・・・・・・・・

3月20日(金) 春分の日:

この日、患者会で大変お世話になった Tさん のお見舞いに行って来ました。
僕と同じ大腸がんを患っていて、確か今回の入院が3度目になるのではないかと、とても心配しました。

Tさんも 今回はセカンドオピニオンを取られましたが、大きな手術も無事済んで大変お元気でした。
もう退院されたかもしれませんね。
食事の事とか、微熱があったりとか、退院後も何かと心配事があるかと思いますが、今回はパートナーの Sさんが 付きっきりなので安心しています。

早く元気を取り戻して Sさんと温泉旅行を楽しんでもらいたいものです。
そして、また講演活動が出来るようになれば万々歳です。

お見舞いの後、友人の Tさん(大学生)と「ゆりかもめ」に揺られながら周辺の眺望に感嘆。。。とうとう、お台場で途中下車することになりました。
午前中の雨も上がって気温も暖かく、田舎者の僕はしばし臨海都市のビル群の美しさに爽快な気分でいました。
ショッピングモールの一角でチョコレートパフェを食べながら久しぶりのダベリングを楽しみました。
見舞ったTさんは気力も充実しているようにお見受けしましたし、佳き日であったと思っています。

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2009年2月23日 (月)

蝶花 の事。

もう今となっては周知の事実だし、敢えて隠し立てすることもなかろうと思いました。。。

・・・・・・・・

突然こんなことをお話しするので嘘に聞こえるかもしれないけれど、私には “ 蝶花 ” と云う愛人がいるのです。

・・・辛い過去に憂いのそぶりも見せないで、今をときめき舞い続ける蝶花・・・

蝶花と私が浮名を流し始めて、もう10年以上になるから早いものです。
当時の私は、熟年パワーを武器に仕事一途の高慢な男でした。
「企業戦士」等と勤務先や世間のおだてに乗り、家庭も顧みず猛烈に仕事に励んでいました。
日々蓄積されていくストレスの数々を酒やタバコやマージャン等で癒していました。
体にかなりの負担をかけていたのでしょう、蝶花と知り合ったのはこの頃だったように思います。

彼女は、東京の 新橋~京橋~日本橋 辺りに姿を見せては何時しかひっそりと私を意識するようになったようです。
私の勤務先がこの界隈だったこともあり、一時の仕事の疲労を酒で和らげる楽しみを既に覚えていた私は、次第に私の方から蝶花を慕うようになっていきました。

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“ 蝶花 ”の名付け親は私です。
浮名、いや・・・憂き名として、花街の蝶花はこの源氏名が気に入ったようです。

ある時期の蝶花は未だ花に戯れることもしないで、比較的おとなしく柔和な感じの蝶であったのですが、私にとっては初めての芸者遊びだっただけに、その体験の衝撃は凄いものがありました。

私と蝶花の出会いは11年も前の事だと私は思っていたのですが、彼女が云うにはそれよりずっと以前から逢瀬を重ねていたらしいのです。
少なくとも蝶になる以前から私に関心を持ち始めたらしく、かれこれ15年にはなるようです。
私に気付かれないように、そっと・・・そーっと・・・入ってきたようです。
だから私はその頃の蝶花のことについては全く覚えていません。いえ、忙しくって気に留めてもいなかったというのが実際のところです。

ほんとうに気付かなかったのです。
ヘビースモーカーだった私や他人のタバコの煙がもうもうと立ち込める部屋の中で、私がウィスキーのオンザロックを飲みながらマージャンに興じていたその傍にさえも蝶花が居ただなんて・・・そのような話を蝶花から聞いてびっくりしているくらいですから。

・・・・・・・・

いま私と蝶花は深い体の関係で結ばれています。

私はこのまま蝶花と共に暮らしていく事になります。
蝶花は私の心と体の中で忘れたいにも忘れられない程の大きな存在として生きているのですから。
蝶花が死ぬ時は私が死ぬ時だと思っています。
それほどの深い愛があるわけではないのだけれども、離れられないのです。

・・・・・・・・

てつのつぶやき:

蝶花よ。
はじめ君に思いを抱かれていたと気付かなかった僕は迂闊だったということなんだろうねえー。
そして君が咲き匂う花の周りを舞い飛びながら、それ程までに僕のことを愛してくれていたと云う事を知った時、、僕は喜ぶべきだったんだろうかねえー。

でも今ではね・・・
こうやって書きながらも、僕は君を知ることが出来て良かったと思っている。
君の事はひと時だって忘れたことがないし、これからも心に留めて大事にしていきたいと思っている。

但しね~ 蝶花、 お願いがあります。
一緒に生活するのはいいけれど、じーっとしていて欲しいのだ。ただこの一点だけ!

それから蝶花、
“蝶花”って命名したのは僕だけれど、君は「ちょうか」だからね。
「ちょうはな」にしようかとも思ったんだけれど、やっぱり病気のことを思い出してしまうからさ。

大腸がんの「腸」と上咽頭がんの「鼻」を連想する「ちょうはな」よりはさ、「蝶」「花」と書いて 「ちょうか」って呼ばれる方が・・・僕達らしくって良いでしょ。note

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2008年12月14日 (日)

社会的弱者

急速な実体経済の冷え込みで深刻な雇用問題が浮上し、社会に不安な影を落とし始めています。

日本経済を牽引してきた大手企業の中で、「派遣社員の解雇」や「採用内定の取り消し」が相次いでおり、その下請け会社や関連企業といった裾野への広がりも顕在化し始めているだけに、その煽りを受けた「社会的弱者」が急増するのではないかと心配で仕方がありません。

思えば、アメリカに端を発した金融危機がこれ程までの早い津波となって日本に上陸し、雇用問題にまで打撃を与えるとは・・・当初誰にも予測できなかった事です。
ですから、今のこの状況を企業側の責任だと安易に決め付けることは酷ですし、かと云って、当該内定者や契約社員に対して ″我慢しなさい ″と、云える事態でもありません。

全く予期せぬ状態の中で突然「弱者」となった人達に対して、国は手厚い保護をしてやるべきです。

・・・・・・・・

さて、・・・先日・・・
がん経験者」という見出しの新聞記事を読みました。
国立がんセンター名誉総長の肩書きを持つ方の記事だけに、″よ~し、任せたぞおー! ″と云う気持ちになってしまいます。

がん経験者は「ともすると社会的弱者なりやすい」と云うのですが・・・。

(以下、《・・・・・・・・》は記事からの抜粋引用です。)

《がん体験者は、医学的にはがんの再発や転移の可能性に関する定期検査、治療に伴う副作用や後遺症への対処、当該がん以外の別ながんになる可能性、さらに、糖尿病とか高血圧といったがん以外の病気の管理など、実に多面的な医学的対応を必要とする。》

《がん患者の4人に3人が「これまでの仕事を続けたい」と願いながら、3人に1人が転職や退職を強いられていたという。解雇された人もあり、約4割が収入が減少していた。がんという言葉に、死に至る病、というイメージがいまだに社会に定着していることに由来する一種の社会的差別といえよう。》

《がん経験者は肉体的にも、社会的にも、精神的にも何重にも傷つきやすい存在といえる。もちろん、早期発見・早期治療を受けた人は、同じがん経験者といってもこうした負担は圧倒的に軽い。》

《今やがんはだれにとっても無縁ではない病気となった。がん経験者が、がんになる以前と同じような生活を気負いなく営めるように、がんという病気を特別視しない社会の実現を目指して、世の中の理解と支援の充実が強く望まれる。》

・・・・・・・

てつのつぶやき
概ね・・・っつーか、ま、その通りだと思う。
特に、《・・・がんという病を特別視しない社会の実現を目指して・・・》と云う意見について、てつは大賛成だ。

確かにおっしゃるとおり、がん経験者は「社会的弱者になりやすい」のであるが、でもよ、、、一方では病の重篤、否に係わらず「弱者にならない」患者・がん経験者がいるのも事実なのだ。

それは、本人の性格や生活環境などの違いが大きく影響してくると言ってしまえば″それだけの話 ″として終わってしまうのであるが、不幸にしてがんを罹患しても 、″なーに、だいじょうぶ、大・丈・夫っ! ″と、自己暗示を掛けて生きていくのも大切な事なのだ。

このようなことを申し上げると、″オイオイ、そんなこと云ったって・・・とてもとても そう簡単な話ではない ″という声が大方でありましょう。
でもよ、クヨクヨしててもさ、結局は ″どうなる事でもない。″
どうなる事でもないけれど、落ち込んでるばかりでは良くなるものも良くならないではないか?
クヨクヨしているよりは、ひと時でも良いから楽しく明るくしていれば病状だって快方に向かう・・・これ当然のこと・・・と僕は正直考えてしまう。

自分の方から「弱者」にならないよう、生活に工夫をつけていきたいものだと常々思う。

、、、、、それから、、、、、

《早期発見・早期治療を受けた人は同じがん経験者といっても負担は圧倒的に軽い》と云う意見には諸手を挙げて賛成sign01

僕はがんを罹患する前から高めの血圧に悩んでいたので今も継続して診察を受けているし、がん後遺症として一般病院で耳の治療を受けたりもしている。

今後も、がんの病と共にこれ等の病気が大事に至らぬ様に早期発見・早期治療を心がけていきたいと思っている。

・・・・・・・・

↓ ちょっと恥ずかしいけれど、今月末から来年早々に掛けてのがん関係の受診スケジュールです。

Photo

(12/25)歯科と云うのは放射線治療で後遺症となった「歯と歯根」の治療を1年くらい続けています。
(12/11)にも行ってきたのですが、痛んだ歯根から新たながんが発生しないように気をつけて、1ヶ月に1~2回診てもらっています。

今は、おかげ様でその心配もなくなり、センセの話によると、いま上歯の方に部分的に歯が生えて来て、下の歯だって来年早々にはいくつか生え揃ってくるそうですぅ。

食べ物が噛める喜びにひたれそうです。
それと、歯が全部揃うとさ、やっぱそれなりに「イケメン」にもなれるじゃないですかぁー。happy01

(1/7)X線胸部と云うのは、もう何年も胸のレントゲン検査していなかったものですから。。(主治医が念のため転移を心配してくれて・・・)

(1/7)採血とは、腫瘍マーカーなどの検査です。

(1/7)上部通常内視鏡とは、食道に出来たポリープの再検査(1年ぶり)です。

(1/14)は放射線科と頭頚科で上咽頭と頚部リンパ節の検査(いずれも6ヶ月ぶりの定期診察)

実は、この他にも(1/9)大腸内視鏡検査を入れてあったのですが、7日/9日の連ちゃんでは体力的にキツイかなと思って6ヵ月後に延期してもらいました。

・・・・・・・・と云うような訳で、
僕は早期発見・早期治療をモットーにしています。
《肉体的にも、社会的にも、精神的にも何重にも傷つきやすい存在》であってはいけないと思って、そうした負担を圧倒的に軽くしたいと思って、、頑張っています。shock

でもよ、経済的な負担はさ、、トホホ、、、重いのだよっ!

・・・♪:;;;:♪:;;;:♪・・・

以上、いやな話はここまで。

先日(12日)、神宮外苑辺りの銀杏並木を見てきました。
目的の講演会参加の開催時刻が夕方だったので映像はいずれも4時前後のものです。

(画像は全て拡大出来ます。お手数ですが・・・)

Photo_4Photo_6←聖徳記念絵画館近くにはたくさんの屋台が出ていました。
→青山通り方面を見たイチョウ並木です。

Photo_7Photo_8夕日に照らし出された銀杏並木はとても綺麗でした。
銀色の葉を全身に纏った木もあれば、まだ青々と若々しいものもあったりで、イチョウの思いもそれぞれあるんですね。
でも、葉は殆どが歩道に舞い落ちていて、寒々と冬の木々に化していました。

Photo_9

この日はポカポカ陽気でした。
歩いていても汗ばむくらいの暖かさでした。
一人で落ち葉を踏みしめながらファンタスティックな晩秋の模様を満喫してきました。

それではまた。
 

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2008年11月21日 (金)

余命

癌が治癒したかどうかの判断は、 (罹患した部位によって違いはあるものの) 5年とか10年といった生存期間をクリアしたか否かが一応の基準とみなされている。

しかしその厳しいバーをクリアしたからと言って、心底から ″やれやれ ″という安堵の気持ちを抱く人は少ない。

ひとたび患って、やっと病根が消失したと思いきや、再びその細胞が息を吹き返したり、全く新たな癌が巣くったりと、不安は尽きない。

そのような状況にありながらも、何とか5年~10年~15年と可もなく不可もなく生き長らえて来られたのは、ラッキーな事としてあり難く受け止めなければならない。

僕もその中の一人である。

・・・・・・・・

僕は今、自分の命は6ヶ月だと思って生きている。

3つの癌を経ても、おかげ様で5年以上、或いは10年以上と予後の経過に問題はない。
しかし今となっては大事な命なのだ。
「6ヶ月」を区切りにして我が「いのち」を見つめ直すことにしている。

今年は7月16日に主治医の定期診察を受けた。
そして、 頭頚科 ・ 放射線科 主治医の ″ノー プロブレム ″というお墨付きを得て以来、今日まで輝いて生きてきたつもりである。

半年毎の診察とは云え、時に CT とか MR 等の精検が入ると、極端に不安を感じながらその結果を待つのである。
そして ″セーフ!″の声を聞いた時から、僕の いのちの鼓動 heart02  再び波打ち始める。

僕の生は再びこの一瞬に誕生したものであって、次には如何様に転ぶのか判らない。
だから6ヶ月間、大事に大事に輝いて思いっきり「 ″いのち ″しよう!」と思うのである。

・・・・・・・・

来年1月14日は 6ヶ月ぶりの診察である。
いや・・・実はその前に、昨年12月に見つかった食道のポリープが2~3ミリからどの程度までに大きくなったのか、良性なのか悪性なのか・・・1月7日に内視鏡検査がある。

そして更に2日後の9日には、僕の希望で大腸がんの内視鏡検査を行なう手筈になっている。

正直に云って、とても不安である。
気が滅入ってしまう話であるが、これまでに何回も経験してきた事であるし、僕はコンナ男だから・・・あはは・・・大丈夫だと思っている。
今日から僕の余命はあと2ヶ月だと割り切って、楽しく悔いのない日々を過ごそう。

・・・・・・・・

てつのつぶやき:
10日間ブログの更新もせず、我ながら、″「気まぐれ てっちゃん」ここに極まれリ ″の感である。

徒然なるままに日暮らし硯に向かう事もせず、心にうつりゆく事ばかりが募って、、、雲のごとく風のごとく、唯在るだけの日々でござった。

ひょいと東京にも出かけてみた。
下町の風情が残る隅田川の近く、芭蕉庵を訪ね清澄庭園を歩いてみた。
表参道の銀杏並木も気になって行ってみた。

down映像です。(花もあって、構成が変です。)
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↑ 左は芭蕉庵跡(芭蕉稲荷)。
 右上下は清澄庭園(豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡地)
半蔵門線で清澄白川駅下車。(交通手段は種々あり。)

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↑ JR信濃町駅陸橋から表参道方面の銀杏並木。(夕方5時半頃)
 黄金色の絨毯と紛えるほどに美しいイチョウの葉を踏みしめる時節になりました。(そろそろ~12月初旬頃まで)

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↑ いま小庭で最も可憐な花・・・「オキザリス」

・・・・・・・・

では、いつかまた気まぐれにお会いできる日を・・・happy01

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2008年8月22日 (金)

がんの傷跡

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このゴルフ場は自宅から徒歩15分のところにあります。
「18ホール」の周辺は、私にとって欠かせないウォーキングコースの一つです。

静かなこと。 緑が目に優しいこと。 空気が新鮮なこと。。など等、いつも心身をリフレッシュさせてくれます。

僕は30代になってゴルフを覚えましたが、仕事上の必要性から当時の上司に強いられるように始めたものですからねぇ・・・、上達しませんでした。

だから、ぼくぁー、ゴルフがへたくそです。
打ったボールが何処に飛んでいくのか、自分でも見当が付かないくらいですから。
キャディーさんには見放されるし・・・今思い出すと、ひや汗が出て悲しくなります。  gawk 

==・・・golf golf ・・・==

現在この様な恵まれた住環境に居ながら、もう10年に亘ってゴルフとは無縁になっています。
上達もしないし、″トンデモナイへたっぴ ″だという事が断念した理由ではありません。

理由は、「平成10年8月に大腸がんの開腹手術をして以来」と言えば、お分かりいただけると思います。

結腸と直腸の手術ですから、ビックリする程の大きな傷が僕の体の真ん中を走っています。
コンナでっかい傷が、よくもまあ~縫合接着出来たもんだ・・・と、今更ながら感心するのですが、入院・自宅療養当時は傷口を「腹帯」等でしっかり固定してガードしていました。

退院して仕事に復帰してからも、数年間は腹部をひねる動作さえ怖くて出来ませんでした。

今は自由に体を動かせますが、「腹帯」の習慣は10年経った今も残っていて、「はらまき」は体から離せません。
今では、重いものを持ったり足を踏ん張ったりで 「リキ」 入れても傷はビクともしませんが、傷を見るたびに辛かった日々の事を脳裏に再現したりする事があります。

″手術や治療で「がん」が消え失せても、再発・転移の不安までは消えることなく、心のうちでは「がん」が生き続けている ・・・ ″
以前、このようなお話をしたことがありました。

「心」だけではありません。

手術で「がん」は消失しても、こうして体に「傷跡」を残して、やはり「ヤツ」は生き続けているのです。
はっきりと目に見える形で、″俺はここにいるぞ ″と言わんばかりに生きているのです。

どうして「傷口にがんが生きている」って断言できるかと言うと、裸になってお風呂に入る時に、傷痕を見て ″ハッ ″と怯みそうになるからです。

・・・・・・・・

体に出来たこの「傷痕」に大きな苦悩を感じ、そのことが更に心理的負担にもなって、苦しんでいるがん患者も多いのです。

僕もまた、何だか「負い目」のようなものを視線で感じる場に居る時があります。( spa 大好きな温泉に入っている時です。)

つらい事ですよね。

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 何十年振りかで物置から引っ張り出してきたゴルフ道具です。(僕は左利きです。)

Photo_2これは「8番アイアン」と言うものです。
飛距離は100mぐらいです。
上のグリーンの映像でピン(旗)寄せの時に使います。

ピンに向かって奥のフェアウェイから打つ場合、(野球で云うならば、左利きは左バッターボックスに入って100メートルの地点からピン/ホール(旗)をめがけて打ちます。
右利きは右ボックスです。)

ear えっ? ・・・へたっぴから講釈など聞きたくないとな!

こりゃまた失礼。
 

 

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2008年7月25日 (金)

土用 丑の日

昨日は″土用 丑の日 ″でした。
「土用」は年に4回めぐってきて、立春・立夏・立秋・立冬に差し掛かる前18~19日の間を云うのだそうです。

夏期は7月19日が土用入り(8月6日が土用明け⇔8月7日が立秋)ですが、19日から数えて最初の丑の日(24日)にウナギを食べると夏バテしないと言われています。
この習わしは平安時代からあったそうで、年に一回、ウナギにとっては気の毒な厄日になっています。

皆さん方、いかがでしたー? ・・・ 元気付きましたかー?

・・--・・、僕ですかぁ~?・・

昨日は病院に行って来ました。 ^^;
と云っても全く心配要らないのです。
今月は「10日(木)→歯」 「16日(水)6ヶ月定期診察→上咽頭・頚部リンパ節」 「24日(木)→歯」と、3回通院しました。

気になっていた「上咽頭とリンパ節転移がん」は、二人の主治医にファイバースコープと触診で診て頂き、異常なかったです。
″2年ぶりに頚部のCTを受けたい ″と申し入れたのですが、″必要なし ″と却下されました。

その代わり、来年早々、「肺のレントゲン」と「血液検査」することになりました。
そしてやはり来年早々ですが、昨年末に見つかった「食道ポリープ」の再検査と2年ぶりの「大腸」の検査予約(両方とも内視鏡)もしてきました。

僕は噺家(歯なし家?)の先憂亭後楽です。
発見が遅れて大事になる前に、いやな事は先に済ませておく人間ですから。

^^^^^・・・で、ウナギの話ですが、
実は、連れも僕も昨日が「丑の日」だなんて気が付かなくって、食べ損なったのです。
でも元気です。

元気ですが、
最近、気が付かなくなったり、忘れ物したりすることがあります。
きっと暑さのせいだと思っています。

ホント。。梅雨が明けたことも知らず、気付かないで忙しくしていました。
やっと、テンプレートのデザインも今日から夏もようです。
(候補が幾つもあって、どれにしようか迷っています。)

昨日、病院の駐車場にある「つつじの植え込み」に何気に咲いていた花を撮って来ました。
名前を知っているのは「朝顔」だけ。(どなたか教えて)
画像クリックすると大きくなります。

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どちら様も暑さの折、お体ご自愛下さいませ。

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2008年7月22日 (火)

上咽頭がん体験記  -6-(了)

確かに、全ての(と言っても過言ではない)がん「患者」は「」に「」が刺さったまま、退院した後も不安に怯えています。

がんが手術や放射線や化学療法で消滅したとしても、私の心に刺さった串と傷痕が、再発・転移といった具体性を伴いながら心の中で広がっていく時、それはどうしても「死ぬ事」への恐怖となって、私は病んで行きそうになりました。

私は、「がん」という病気が「自分の生き様や生き死に」にこれ程深く係わってくるとは思いもよりませんでした。
また、「
家族との関係という点に於いても、「がん」がこれほどまでに冷酷非情に絡んでくるとは考えてもみなかったことです。

正に「病魔」と呼ぶに相応しい、暗い影を引きずりながら退院してきた私でしたが、一方では、「家族の支え」を受けて自宅療養をしながら再び元気を取り戻そうという、期待があったことも当然の事実でした。

しかし結果としては・・・、
家庭の中での私の存在が家族を苦しめることになり、家庭の平穏を乱し始めていたのです。
私は自責の念と共に為す術も無く、家族を前に沈痛な毎日を過ごすだけでした。

何故 このようなお話をするのか・・・。 実は、
がん患者は家族との係わり合いの中で、「在宅医療」をどう考え、終末期に於ける「ターミナルケア」と如何に向き合うのかという問題に悩むからです。

支えあう会 「α」に会員申込みをした時に、「緩和ケアについてどう思うか」といった任意の設問がありました。
私は、「自宅では最期を迎えたくない。」 つまり、ターミナルケアは自宅ではなく、病院を希望している旨を書いて提出しました。
退院してきた当初の苦渋が今も少しでもある以上、この意思には変わりありません。

私は愛する家族にその事(ターミナルは病院で)をどのように説明していけば良いのだろうか、ということを考えていました。

その頃です。・・・私は、
死生観」についてもアレコレと思いを巡らしていました。
私が終末期医療を自宅で受ける時、私の辛い闘病の様子を看病の傍らにある家族に見せなければなりません。
その時、愛する家族の疲れ果てた顔や苦痛や動揺を目の当たりにしながら最期を終えるなんて・・・その様な耐え難い苦悩の中の自分を思う時、私の死生観の一つとしては「日頃から家族との絆をどのように保って置くべきなのか」という事にまで至ってしまうのです。

~~----~~

私は患者会等を通して、自分の甘さを恥じ、反省する事が多くあります。
患者会でお会いする人達の中には、私の比ではない本当に重篤な病を抱えながら、様々な苦労に耐えている方々が多くいらっしゃいます。
そのような方々のお話を聞くたびに″自分の苦労なんて苦労の内に入らない。 ″と率直に感じてしまいます。
そして、大きな勇気をもらいます。

患者会を始め多くの出会いの場で、私は様々な事に気付かされました。
その「最大の気付き」は何かと言うと、「がんになった事をあまり苦労と思うな。」ということでした。

これまでにも縷々申し上げてきましたが、「がん」は屈強で死滅する事を知りません。
がん患者に対しては己との共存共生を強いて、たえず「死の恐怖」に向き合わせようとします。
そして、(私の例で云えば)数々の後遺症を併発させて、以前の様な生活をエンジョイ出来なくしてしまいます。

sign01 でもね。。

もう、、、いいんです。
「がんになった事」とか「死の恐怖がどうだ・・・」とか「後遺症で生活の質が落ちたとか「家族の絆がどうした」とか・・・

今は、もう・・・私はそんなことはどうでもいいという 気持ち でいます

いつまでも「がん」に囚われていては、一生そのままミジメで終わるし、もっと前向きに生きなければ。。 と気を取り直し始めました。

「がん」になって失ったものは確かに多いです。
しかし、大きな大きな収穫が一つありました。

生きるって、どういうこと? を意識するようになったことです。

宇宙創成の話や中国の古代哲学(陰陽五行説)の事を教わると、人間なんて実にちっぽけな存在だと思うようになりました。

″「じめじめ・くよくよ」 するな!″と、自分に言い聞かせています。
病の事に悩みながら、クヨクヨして過ごすのも一日。 楽しく振舞って、がんを忘れて過ごすのも一日です。

一時のその場限りの元気でも良いから、元気に振舞っていれば ″必ずいつか本当に元気になれる″と思っているのです。
元気の「気」は「エネルギー」の意味です。
人間って、どうしても落ち込む事が多く「陰気」になり易いので、努めて「陽気」でありたいと思っています。
陰と陽のバランスを取ることが健康である」というのが仏教の健康観だそうですね。

「仏教の健康観」で思い出しました。
私や家族には特定の宗教がありません。(あえて申し上げれば、お葬式の時だけの ″葬式仏教 ″です。)
・・・・・・・・
何故この様な事をお話しするかと云いますと、
人間は大きな困難に遭遇した時、宗教を心のよすがとする場合があります。
私は「自分の意思と判断で、信じたい宗教を選択したものであれば、それはとても結構な事」と考えています。(ただ、時折りテレビ・新聞で風評をかもす明らかに悪徳と思われる偽善宗教には、お気をつけくださいませ。)

実は、私が信奉するのは「自然」です。
自然が織り成す万物の営みの中に「
不思議な整合性」を見出した時に、私は「生かされて生きている」という事を実感します。
そして感謝しながら、
今、この時を大事に生きようと心がけています。(でも、「心がけ」だけで終わる事もありますぅ。)

・・^^・・ confident ・・^^・・

「悠然 見 南山」 -悠然として南山を見る-

想像もしなかった「癌 」に再度襲われた私は、全てが絶望の極みでした。
視界ゼロの暗雲と、荒れ狂う怒涛しか望めない断崖に立っていました。

・・・それから4年~5年~6年の年月が経つにつれて、心の霧が少しずつ晴れてきたのです。
これは、患者会をはじめとする周囲の「支え」があったからです。
そして、その他にも理由があるとすれば、それは本来私の心身に潜んでいた「ナチュラルキラー」が目を覚ましたのであろうと思っています。

「免疫力」とか「自然治癒力」のパワーは、元々誰にでもあるものですが、病に負けてこのパワーを失っては勿体ない話です。
私はこのパワーを「自然との触れあいや会話」を通じて見事に覚醒させ得たと考えています。

夢・心・愛・自然」。
私は今後もこの気持ちを大切にしながら、「自分らしく生きる」道を求めて行きたいと燃えているところです。

そして最後に、家族に言っておきたい私の家族への愛の言葉です。(家族の者は、私のこのブログの“在りか”を知らないのですが・・・
^^;

①:「もう、俺の事は気にしないでくれ。」
②:「みんな健康で、仲良く楽しく快活に生きなさい。」

・・--・・--

「がん」なんか怖くないと言ったら嘘になります。
これから先の事も、どうなるやら本当に不安です。
でも、その日が来たらショックかも知れないけれど、また頑張ってみるしかないですね。

今、あの時を思い出しながら、あの時と同じ断崖に立っています。
断崖に立つ私の目の前は、海穏やかで潮風は優しく、心地よく、空はあくまでも青く澄みわたり、雲はゆったりと何処へか流れていきます。

地平線の彼方・・・私は悠然と南山を見るのです。

上咽頭がん体験記 (了)

ご清聴? ありがとうございました。

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2008年7月15日 (火)

上咽頭がん体験記  -5-

「一灯を求めて 篇」  - 患者会 -

医師や看護師さん始め周囲の方々のお陰で、治療前にあった二つのがんは消失しました。
主治医も「寛解」と云う表現で、放射線→抗がん剤療法が奏効した事を喜んでくれました。
(ありがとうございました。)

そして退院する日に誰よりも喜んでくれたのは、同部屋の「戦友たち」でした。
それは何故なら、日夜ベッドを並べて寝食・治療を続けている間に互いが無言のうちに気持ちを通い合わせて、共に苦しみを乗り越えてきたという事実があったからです。

延べ56日に亘る入院生活でしたが、不安と恐怖のどん底から何とか生還できたのも、共有する病魔に向き合う時の 「支えあう心情」 が無意識のうちに出来上がっていたからに違いないのです。

その時の「がん友」の顔や表情の一つ一つを、今でも鮮明に思い出すことがあります。
(みなさん、ありがとう。 元気でいて下さいよー!)

・・~~~~・・さて、(そうは云っても)

退院してからの私、相変わらず悶々とした日々を過ごしていました。

退院して1ヶ月ほど経った夏日の事でした。
味覚が殆どない状況の中で、とにかく食事を摂って体力をつけ、目方を増やすことに専念していた頃です。

毎日ふさぎ込んでいたので、近くの森林公園でも歩いてみようということになり、「連れ」とささやかな弁当を持って出かけました。

ひんやりとした空気と濃い夏の葉に覆われた木々から漏れる陽が、とても久しぶりに思えて、爽快であった事を覚えています。
五感が蘇える ″ そのような気分に浸っていました。

・・・ああ・・・でも、次の会話はショックでした。

:「もう、そろそろ蝉が鳴く時季だよねえ・・・」
連れ:「エッ? 今、鳴いてるよ、しきりに。・・・」
    「・・・聞こえないの!??」

・・・・・・・・

6月に退院してからも暫らくの間は、(この様な体の症状に加えて)後遺症に対する精神的なストレスに潰されそうになっていました。
そして、いつも頭をよぎるのは死ぬことへの「不安と恐怖」でした。

がんは消えて無くなっても、再発・転移や(私の様な)再三の原発性がんへの戦慄は何時、何処にいても頭から離れません。
「おそれ・おののき」で気持ちは震え、身の持って行き場がありませんでした。

森林公園での連れとの「ひと時」に「もう俺には時間が無いかも知れない」という ″切迫した時 ″を重ね合わせてしまいました。

「連れ」と交替でハンドルを握りながら温泉地巡りもしました。
養生を兼ねて秋田の玉川温泉にまで足を伸ばした事も、今ではとても良い思い出になっています。

~~・・その後、しばらくしてからです・・~~
(そう。指折りすると) 退院してから1年8ヵ月の頃です。

患者会との出会い。 bell
平成16年2月でしたが、読売新聞 「 医療ルネサンス欄 」 で 「
支えあう会 α 」 と云う患者会の存在を知ったのです。

当時の記事です。(画像クリックで拡大できます)
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体力・気力がすっかり失せてしまって、仕事も叶わず希望もなく漫然と生きていた時だけに、この記事を読んで何か光明を得た思いでした。
当時「がん患者会」という存在すら知らなかった私にとって、正に患者の辛い気持ちを代弁するかのように、しっかりした視野に立った「土橋さん」 の話は心に響くものがありました。

さっそく入会の手続きをとりました。
おそれ・おののきの身の持って行き場」は「ここだっ!」と思ったのです。 happy01

人は自分の辛い思いをトコトン話すことで、気持ちが落ち着くものなのです。
そして、それをトコトン聞いてもらうことで、すっかり安心するものなのです。

「支えあう会 α」には、あらゆる部位のがん患者が集まっています。
そして、「夫々が体験や症状や悩みを良く話し、皆で良く聞いてあげ自分の経験や知識を披露しあう。」という事を信条にしていると私は思っています。
同じ悩みを持つ患者同士だからこそ、そこには 「通じ合える確かなもの」 あります

私はこの会に在籍して4年が経過しました。
この間、いろいろな方との出会いや親しい交流がありました。
その中で励みに感じた事や教訓が多々あります。
この「支えあう会 α」で、私は ″がん ″という病の問題とは別に、「生き方」という事についても学ばせてもらったように思います。

・・・・・・・・

「α」や患者会の事については、このくらいで止めておきます。
又の日に改めてお話ししたいと考えています。

・・・--・・・^^;

実は明日(16日)、上咽頭がんの診察日なのです。
6ヶ月ぶりなので、いろいろ心配事についても話を聞いてこようと思っています。
頭頚部のCT検査や血液検査も丸2年やってないと思ったなあ・・・?

・・・そのような訳で・・・
この辺りで 「上咽頭がん(-5-) 一灯を求めて」を終わりにさせていただきます。
次は、-6- 「 悠然 見 南山 」(最終篇)です。

てつのぼやき:
昨日の停電にはガックリした。
下書きだ、保存機能だ・・・も何もありゃしない。
有無を言わせないカミナリさま。

てつのつぶやき:
「支えあう会」 α は優しい患者会だ。
″世話役さん ″と言われる5~6名のボランティアで会が運営されている。
「世話役さん」という字や言葉の響きが、もう既に優しさを感じさせる。

てつのかがやき:
僕がコンニチこうして元気で過ごせているのも「α」のお陰だ。
これからも輝いていこう。

土橋さんは、今般3月の年度替りで代表を辞されたが、「α」を離れても、なお豊富なキャリアを活かしながら忙しくなさっている。
素敵な侶伴殿と手を携えて、飛び回っておいでのようだ。
元気が何より!

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2008年7月 9日 (水)

上咽頭がん体験記  -4-

前回体験記(-3-)の中で、「歯を磨いていた時に・・・」というお話をしました。

実は、・・・長年に亘って歯周病に悩んできた私には、磨くほどの立派な歯が揃っていないのです。

6年前、放射線治療を受けた時にも(丈夫な歯と歯茎の持ち主であれば問題はなかったのですが)その照射による影響が歯根や歯茎に及ばない様にと、″悪い歯は全て抜歯 ″することになりました。

治療後に傷みやすくなるという歯根に口中の菌が入って、それが新たな病巣になることを医師も私も恐れていました。

そのような訳で、
歯科医で行なったレントゲン検査の結果、相当数の抜歯もやむを得ない事になったのです。

~~・・・・~~

放射線治療による後遺症については、インフォームドコンセントで予め説明を受けていたとは言え、やはり辛いものがあります。

後遺症

sign01唾液が出ない。
耳下腺・舌下腺・顎下腺という唾液分泌機能が失われてしまいました。 そのため、(嚥下障害と言うのですが)食べ物をスムーズに飲み込む事ができません。 また、(口の中がいつも渇水状態のため)痛み(ヒリヒリ感)や口内炎が出来やすいのです。
対策としては、お茶や水のペットボトルを常時携帯しています。

sign01 味覚障害
80パーセントは回復しましたので、食生活は大丈夫です。
でも味覚が持続できないので、ザラザラ感の舌はいつも水分で潤しています。

sign01聴覚障害
日常生活には支障がありませんが、会話をしていて突然難聴になることがあります。 都合の悪いイヤな話でもないのに・・・どうしてだか分かりません。^^;
治療前と同じように、耳鳴りは残っています。 でも何かに熱中している時には気になりません。 ボ~っとしてたらダメなのです。

danger あと、嗅覚や視覚なんかは大丈夫です。
・・・えっつ sign02・・・何ですって?・・・ear(私、お話したように耳が遠くて・・・)
なるほど。 なるほど。ご質問の趣旨わかりました。・・アタマは治療前から変ですう。bearing

・・・・・・・・

放射線治療を受けて感じた事は、放射線はがん病巣を完全に叩き潰す確かな効き目があったという事です。
そして、これから先も測り知れない程に優秀なコンピューターを駆使して、更に安心安全な放射線治療が期待出来るであろうという事です。

それと同時に、医療者にお願いしたい事があります。
今後は、放射線治療による後遺症の軽減に向けた研究を強力に進めていただきたいという事です。

・・・・~~・・・・では、そろそろ

上咽頭がん(-4-) 抗がん剤治療 に話題を移しましょう。
どうか退屈なさいませぬように、お茶しながらゆっくりお読み下さいませ。

・・・・・・・・

実は、抗がん剤は「上咽頭がん・リンパ節転移がん」が初めてではありません。

10年前の「大腸がん」手術直後から約4年間ですが、経口 抗がん剤を服用していました。
フルツロンカプセル 200mg」と云います。
朝食と夕食後に「2カプセル」ずつ飲んでいました。

でも、2週間毎にこの薬を貰っては主治医の診察を受けなければならない事が、当時サラリーマンであった私には少々苦痛でした。

やがて、この病院で上咽頭がんが見つかり今の病院に転院した頃、偶々その主治医も古巣の大学病院に転勤されました。
そしてこれを機に、フルツロンカプセル とは無縁になりました。

怒涛 篇 」 -抗がん剤治療-
上咽頭と頚部リンパ節転移がん治療に使われた抗がん剤は、「FU」 と 「CDDP (シスプラチン)」というものでした。

この2種類を使って同じ治療を2回(2クルー)するために、2度の入院を余儀なくされました。

一度目の入院:平成14年5月17日~5月28日
二度目の入院:同     6月17日~6月25日
入院して治療を受ける前に、主治医との面接(インフォームドコンセント)があり、治療法・副作用など縷々説明がありました。

当時の治療予定表です。(拡大出来ます。)
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上段左・右・下段の順で、計3ページが渡されました。(下段の右側にある日付け毎の投薬予定表は、上段1~2ページ共に同じなので割愛しました。)

5FU は5日間投与され、口内炎・白血球減少などの副作用があります。
シスプラチンは1日だけの投与で、嘔吐・腎障害・しびれ等の副作用があります。
その他の薬は
栄養剤嘔吐・食欲不振予防腎機能不全予防症予防などとして点滴されます。

以上は、標準治療(FP) と呼ばれるもので、1ヶ月毎に2クルー行なわれます。 実質治療期間はいずれも5日間です。

私にとって最も辛かったのは、やはり 「嘔吐」 でした。
毎日まいにち、体を横向きにして く の字 になって寝ていました。

次に辛かったのは、「排尿」 です。 血液中の毒を尿と一緒に流し出すのです。
まいにち毎日、大量の水をガブガブ飲みました。 そして 点滴台 を引きずりながら、何回も何回もトイレに行くのです。

トイレの傍に 検尿器 というのがあります。 大きなカップに排尿した後、他の患者の尿と区別できるように各自専用のカードを使って、そのカップから検尿器に尿を移します。
検尿器では
尿の量と成分 が日々個人別に把握できるようになっています。

看護師さんに ″Aさん! 毎日たくさんの尿が出てますよ。 お水たくさん飲んでるのね。 頑張ってるのね。″なんて云われると、「抗がん剤が、調子良くどんどん排出されてるんだな」 「つー事は、腎機能も良好に働いてるんだな」 と思って嬉しくなるのです。

闘病で苦しくって苦しくって仕方がない時に、看護師さんの何気ないこの様なひと言が、患者には大きな励みになるのです。

病室は4人部屋でした。
胃がん・大腸がんからの転移がん、・・・どの部屋も全てがん患者です。
夫々が異なった苦しみを抱えながらも無言のうちに励ましあっている、そのような部屋の空気を感じるのが救いでした。

深夜に看護師さんが部屋に入ってきます。
柔らかい光を発する懐中電灯を持って看回りに来るのです。
主に点滴台の点滴の量や、点滴の針が付いている腕周りに異状がないかといったチェックだと思います。
少し光を当てて、顔つきも見ます。 寝たフリをする時もありました。

sign01 こんな事がありました。
昼間も辛いけれど、夜は夜でつらいのです。 やっと寝入った人を起こしてはなるまいと、嘔吐や下痢に襲われそうな時は尚更ですが、トイレに立つにも気を使います。
深夜に、どうしてもウォッシュレット式のトイレを使いたい時がありますが、でも病室のフロアにある「ウォッシュレット式」が塞がっていることもあります。

そのような時は、辛いのですが点滴台を引きずりながら1階の受付ロビーや診察室に近い待合室のトイレまで出張します。日中は混雑するけれど、夜間はガラガラなのです。

深夜の受付ロビーや待合室は、ガランとして広く、暗いのです。
そこには誰もいない筈なのですが、遠く目立たないところで一人ポツネンとしている人がいました。
私と同じように点滴台を傍に置いてソファに腰を落とし、力なくうつむいている男がいました。

暗闇の中でわなわなと震え、泣いていたのではありますまいか?
「何故この俺が・・・」 誰のせいでもない、自分自身であることは判っているつもりであるが、あまりにも理不尽な・・・と、言葉にならない吐息交じりで、自問していたのではありますまいか?
どうしようもない「不安と恐怖」。。。この気持ちをどこへ持って行けばいいのでしょうか?

・・・・・・・・

私が放射線治療を受けながらも未だ食欲があった頃、夕食に大好きな(ジャガイモ・ニンジン・タマネギの)クリームシチューが出てきたことがありました。 美味しく食べました。
でも抗がん剤治療の時は食欲不振どころか、兎に角、食べ物から目を離したい一心で配膳を断った事もありました。
特注できる少量の「おもゆ」と「味噌汁」だけで過ごす日が多かったように思います。

ナースセンターの前に体重計が置いてあって、朝(起床直後)と夕方(食後だったか?)の2回、測定を義務付けられていました。
そして毎日、名前と体重を備え付けのノートに記入していました。
氏名:「A.T」。 体重:「46キロ」。
(ああ・・・入院する6ヶ月前、仕事バリバリ男のネット体重は63キロだったのに。)

恐るべし、抗がん剤治療 !

~~~・・~~~

以上で、 「怒涛 篇」 -抗がん剤治療- を終わりと致します。

纏まりのない体験記に我ながら本当に呆れつつ、、、
次回(-5-)は、 「悠然見南山 篇」をもって最終にしたいと考えています。^^

いつも長くなってごめんなさい。 m(_._)m

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2008年7月 5日 (土)

上咽頭がん体験記  -3-

「怒涛 篇」 -放射線治療-
平成14年1月24日。
紹介状などを携えて、この日始めて転院先の病院を訪ねました。
自宅から車で1時間のところにありました。
二つの″ニューフェイス ″が見つかって2週間が経過していましたが、私は悶々とした気持ちの整理が付かないまま茫然自失の状態が続いていました。

しかし事は緊急であり、手をこまねいている時間がありません。
正に真っ暗闇を走るが如く、ハンドルに手を掛けて病院に向かいました。

これから先の私の人生に ″明かりはあるのでしょうか?。。。
あったとしても、それは更に淡い、風前の灯のような「明かり」であるに違いないと思ったものです。
この日の病院までのハンドル操作は、今後の私の生き様を模索する新たな行路の第一歩として、覚束ないものであったに違いありません。


・・・・・・・・さて、

2月28日。 いよいよ放射線治療が始まりました。
私の治療法は「定位放射線照射」と言われるもので、「直線加速器(リニアック)」という装置から集中的にがん病巣に向かって放射線を浴びせる方法です。

このリニアックという装置を回転させながら、多方向(角度)から病巣に放射線を集中させるため、他の正常な組織への放射線の影響は極めて軽微だと言われています。

先ず治療を始める前に、放射線科の主治医が治療計画を立てます。

私はこの病院でも綿密なCT検査を受けましたが、高精度のCT検査のデータが「微妙な角度からの複雑な照射範囲が簡単に決めらる」ようになっていて、照射する放射線量も部位ごとに、症状毎に決めることが出来るというのです。

私は上咽頭と頚部リンパ節に 「(2グレイ/1日)×35(日)=70グレイ」を受けました。

放射線治療室に入ると、予めCT画像の診断シミュレーションに基づいて作られた顔面保護具を装着します。
この保護具には、いろいろな角度から照射する位置がマーキングされています。

治療時間は、治療室に入って出てくるまでの間が10分程度でした。治療中は仰向けの状態で機械(ベッド)上に寝かされ、身動きが出来ないように固定されます。
リニアックが頭上を移動し始めて停止するまでの時間、つまり治療時間は2~3分でした。

シェルと呼ばれる保護具は私の顔面の型をとって緻密に作られたものですから、マスクとしては狂いは無く、少々息苦しい程にきっちりとした感じでした。
治療中、痛みや痒み等の苦痛は全く感じませんでした。

放射線による症状が徐々に出始めたのは、治療後2週間過ぎた頃の事です。
治療前に予め主治医から聞いていた通りの症状ですから、特に心配はしませんでしたが、倦怠感、食欲不振、口内炎症、味覚消失・・・などの副作用とも云うべき症状が出て来たのです。
(これについては、後ほど詳しくお話しなければなりません。)

~・・~・・さて、この辺で入院中の体験話を少し・・kissmark

hospital入院日:3月19日。 ~ 退院日:4月22日。dash hospital
病室に「空き」が出るまで、しばらく日帰り通院で治療を受けていましたが、この期間を除く35日間の入院生活は貴重な体験として心に残っています。

sign01こんな事がありました。
治療を受け始めて2週間の頃、まだ元気は残っていました。
ベッド周りや配膳等でお世話になっていた看護助手さん?の一人に云われました。(とてもショックでした。)

助手さん:「Aさーん、あなた元気ね。食欲あるし・・。」
Aさん(私):「・・・?・・・ハア?」
助手さん:「あなた、ステージいくつなの?」
       「あなたなんか、まだマシな方よ・・・」
       「他の階の人は可哀想な人達ばっかりだから」
私:「・・・(ショックで寝込み、以来食欲不振始まる)」

立派な医師の治療に恵まれ、看護師も親身になってケアしてくれているのに・・・この気遣いに欠けた暴言を如何に捉えればいいのか。

それ以降、彼女との会話は途絶え、退院するまで(いいえ、その後抗がん剤治療で再入院して退院する日まで)心が痛み憂鬱でした。
がん患者を扱う病院だけに、派遣会社からの人材であっても、日頃からの教育には(病院側としても)気を配って欲しいと思いました。

・・・・・・・・

放射線治療はその効果が直ぐには表れません。半年~1年以上経たなければ治療結果が出ない場合もあるそうです。
ですから、私の例ですが、がんは治癒したけれども、その後遺症として「唾液分泌機能障害」「嚥下障害」「味覚障害(少々)」「聴覚障害」があるために、退院後も 5~10年 のスパンでフォローしなければならないと言われています。

そこで、もう一つ。

sign01sign01こんな事もありました。
放射線治療も愈々終盤に掛かった頃のことです。
夕食を終えて洗面所で歯を磨いていた時、主治医が通り過ぎようとしました。

私:
「せんせ。 おかげ様で治療も数日を残すだけになりました。 今後抗がん剤治療の後、せんせには通院(外来)で診ていただくことになりますが、今のところどんな状況でしょうか?」

せんせ:
「ウ~ン。 鼻の方は良いけれど、リンパ節の方がなかなか頑強なヤツで・・・」
「あとは神様に手を合わせてお祈りするしかないです。。」

私はこの主治医がますます気に入りました。

藁をも掴む思いで必死に治療を受けているがん患者に対して、治療の結果が吉と出るか凶と出るか、主治医としては判らないと云う。
だから、神に手を合わせて、治療の結果が吉と出るようお祈りしましょう、と云うのです。

がん患者の中には、このような主治医の対応に「無責任だ」、「患者の気持ちが解かっていない」・・・等と、怒り心頭でヒステリックに叫ぶ人もいます。

でも患者は、この様な場では冷静に考える必要があります。
″医師として最善を尽くした ″という正直な気持ちの表れであることの方が極めて多いと、私は考えます。

・・・・・・・・

今日も放射線治療のことで長い話になってしまいました。

次回は、「怒涛 篇」 -抗がん剤治療- について書き留めて置きたいと思っている次第です。

・・・怒涛 だなんて、お恥ずかしい話ですが・・・ (汗)


  

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2008年7月 2日 (水)

上咽頭がん体験記  -2- 

上咽頭がんは耳鼻咽喉科系のがんで、日本では年間500症例という、比較的珍しい部位のがんです。

上咽頭は鼻腔の突き当たりにあって、普通 「のどちんこ」 といわれる口蓋垂とか扁桃腺の上後方にあります。
そして、そこは頭蓋骨を境に脳にも接しているし、その左右側壁には中耳に繋がる管の出口がある等、「鼻」と「口」と「耳」の機能が相互に複雑に作用し合っている場所です。

例えば、口腔には味覚機能が、鼻腔には嗅覚機能が、そして耳には聴覚機能があります。
更には、鼻腔から肺に空気を送る「気道」という通路もありますし、肺に流入する空気を暖めたり、湿気を与えたりするのも鼻腔の役目です。

気道(空気の通路)は 「口→鼻孔→咽頭→気管→気管支」 という流れを経て、肺に直結しています。
ですから、上咽頭がんは肺への転移も心配しなければいけません。

一口に上咽頭と言っても、鼻の症状だけでなく、口や耳の症状、脳や肺にまで及ぶ症状も考えておかなければならないので、つくづく厄介な病気を患ったものだと思っています。

上咽頭は、この様に多くの機能を備えた部位だけに、その周辺には細かい神経が集中していて、解剖学的に手術が出来ない場所だと云われています。

前置きはこの位にして、それでは・・・「上咽頭がん体験記」 の始まり、はじまり です。・・・

「暗雲 篇」
平成14年の正月のことでした。
風邪の症状が長引き、鼻づまりと共に "シーン" という耳鳴りを感じ始めたので、なんじゃ・・・こりゃ?″と不安になって、 近くの総合病院の耳鼻科を訪ねました。

(この病院は、10年前に大腸がんの開腹手術を受けるなど、日頃から頼りにしている ″掛かりつけ ″の病院です。)

私から風邪の症状?を聴いた医師は、時折り″ウン、ウン ″と頷きながらも、容易ならざる事態だと思い始めたのでしょうか、″はい、お口開けてぇ~″のその表情が、いつしか寡黙になっているのが私には良く分かりました。

ただならぬ気配を直感的に悟った私。
ややあって、症状を再び具体的に質問・確認してくる医師。

″Aさん。鼻からファイバーを通して、も少し詳しく診させて下さい。″

・・・・~~・・・・ドキドキ。

(何だか「かたまり」が見つかったらしい。。)
″「組織診断」したいので、組織のかたまりを少し採らせて下さい。 ″

口・鼻・上咽頭にスプレーで麻酔を掛けた上、鉗子で腫瘍の一部を採取されました。

そして、その日のうちだったと思います。CT検査を受けました。
数日後、画像を見ながら医師から詳しく説明を受けました。

8~9割の確率で上咽頭がんであること。
左頚部リンパ節にも転移が見られること。
「○○病院」宛に紹介状を書くので、そこで「放射線治療」を受けること・・・など等。

風邪だと思って診察を受けに行ったのに、あれよアレヨと云う間に事態は急変してしまいました。 驚愕。

・・・・・・・・

・・・平成14年1月29日・・・
紹介状・CT画像・採取物...等を持って、紹介先の専門病院に出向きました。

その病院でも早速精密検査を受けました。
2月4日:咽・喉頭 内視鏡検査。
2月22日:上咽頭 MR検査。

そして極度の不安の中、頭頚科(耳鼻咽喉科)の主治医から告知を受けました。「 が~ん

後で調べたのですが、「ステージⅡ期」でした。
調べてみると、Ⅱ期症状としてのモノサシが幾つかあって、ひょっとしたら自分はⅢ期 に差し掛かっていたのでは・・・という不安もありました。でも敢えてステージをはっきりさせて置く必要もないしと思って、今も ″ファジー″なままにしています。 主治医に聞けばすぐ分かる事なのに当時は聞く勇気もなく、
「新たな原発性がんを再度抱える事になった。」という、そのショックに堪えることだけで精一杯だったのです。

当時、大腸がん(横行結腸と下行結腸ポリープと直腸の切除)の開腹手術をして4年が経過していました。
″ヤレヤレ 、5年の目途もクリア出来そうだなあ ″の気分でした。仕事も順風満帆であっただけに、この新たながんの発症は私を絶望のどん底に落とし込みました。

ショック、ショック、ショック。
俺は・・もうだめだ!!

これからどうなる? 仕事は! そして家庭は! ・・・sign02
しかし、このまま死ぬわけにはいかない。
詳しい理由は付けないで、まず勤務先を辞めることにしました。

心を落ち着けて、先ずはどうすべきかを一つ一つ考えて、頭を整理していく。。。
そのためには時間が必要でした・・・。
仕事を辞めるしかありませんでした。crying (涙)

・・・・・・・・

長くなりますので、 この辺りで「暗雲」 篇 を終わりにします。

近日中に、続き「怒涛 篇」 を投稿いたします。
一気にお読みいただけなくて、ごめんなさい。

・・・・・・・・

てつのつぶやき:
僕は本当に気まぐれな男です。申し訳ないと思っています。
「上咽頭がん -1-」を投稿して、そろそろ1年になろうとしています。(このこと、数日前に気が付いたのです。)
僕はどちらかと言うと、あまり病気の事は書かないで、「今、病気とどう向き合っているか。」を綴って行きたいと思っています。

前向きに、「がんなんか、kusokurae!」で生きたいと思っているのですぅ。
つうーか、病気の事は忘れてしまいたいのです。。。
でもやっぱり、こうして病気の事を忘れないで、記録に残すことも大事なんです。
・・・なに云ってんだか?・・・ね。

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2008年6月28日 (土)

徒然・連れずれ。。

いきなりで恐縮ですが・・・

我が師、兼好法師は1350年に68歳で亡くなりました。

その師が晩年の頃、徒然草の中で「友として持ちたくない7種類のタイプと、友として持ちたい3種類のタイプ」を述べていますので、紹介させて下さい。wink

師曰く、
「友とするにわろき者、7つあり。 一つには、高くやん事なき人。 二つには、若き人。 三つには、病なく身強き人。 四つには、酒を好む人。 五つには、たけく勇める兵(つわもの)。 六つには、虚言(そらごと)する人。 七つには欲ふかき人。

二つ目の「若き人」というのは、出家の身、かつ老いの達人としての兼好法師から見た若者像なのでしょう。(私なんぞは、若い人の輪に積極的に入って行く事で、バイタリティを維持しようとするタイプなんですが・・・ ^^;)

この7つの厭なタイプの人間・・・今の世も同じです。
我が身を反省しつつ、兼好法師の卓見に感心しています。

「やん事なき人」とは、今で云う社会的地位の高い人や世の中を引っ張っていく影響力の大きい人のことでしょう。

私利私欲の塊りで、心卑しく偽善者で傲慢・・・そんな人間なんて、
pout あ″~いや!・・・だよ、まったく。angry

さて、持ちたい友ですが、
師曰く、「よき友三つあり。 一つには、物くるる友。 二つには医師(くすし)。 三つには、智恵ある友。」

師は正直者です。 鎌倉から室町時代へと武家社会が定着していく中で、出家の身でありながら俗世間にまみれつつ、当時としては売れるべくもない随筆を書いていました。

僧職ではお金にならず、いつも生活の不安を感じていたこのライターにとって、モノをくれる人は貴重な友だったのでしょうね。

そして二つ目に挙げた良き友が「医師」だと云うから、私は真っこと目頭が熱くなるのです。 泣けてくるのです。crying ←(なだそうそう)

すぐ傍に友と呼べる親しい医者が居てくれると、どんなにありがたい事でしょうsign01

不安な病気の事を相談し、心やすく話を聞いてもらえる医師。。治療してくれる医師の存在。。。今も昔も同じなのです。

・・・突然で恐縮ですが・・・

ココから、てっちゃんの辛辣な医療批判と危惧の弁となります。

・・・・・・・・

いいえ。
今時の医師ときたら、殆ど傲慢で患者の心を気遣えない者が多いのです。 兼好法師の時代は「医は仁術」であったに違いありません。

今、「医療界」や「行政」は、「患者や患者会」を含めたコノ三者で医療改革を進めようとしています。
良い事です。 これによって、今後の医療施策は大いに期待が持てると思います。

でも、何かどこか、変な気もするのです。

医療界は医療界で、行政部門だって行政それなりの考え方で、長期的な医療の在り方を見据えながら、改革を進めて欲しいのです。
患者が深入りするハナシではないのです。

・・・・・・・・

患者は患者なのです。

常に「生き死に」の不安に怯えているがん患者にとって、医療の現状と今後の動向は最大関心事です。
でも患者とか患者会というものは、本来そのような事への係わり合いは希薄なものでなければならないと思っています。

それは、がん患者の「こころ」の問題を病として疎かにされるのではないかという危惧を持っているからです。

私の心配事ですが、「こころ」の問題をケアーしてくれる医療者や患者会が増えていってくれる事を願っています。

それから、医療ミスによる事故を患者側が訴訟するという例が増えてきている昨今、医師と患者が疑心暗鬼となり、互いの不信感は募って行く傾向にあるのも心配事の一つです。
中には「患者会」を利用して、訴訟を社会問題化して煽りたてる輩もいると聞きます。

今後は、医療の側面として「患者会」の真の意義や在り方についても問われなければなりません。
それだけに、「患者会」の代表たる者は、キチッとした「こころ」の解かる人になってもらわなければなりません。(例の「わろき・・・」七つのタイプに入るヤカラは兼好法師も許しませんぞ。)

・・・・・・・・

少し疲れてきました。gawk

疲れた時は、甘いものや綺麗な花で和みましょう。note

479360

Photo_2

時々甘いものが欲しくなります。(のんべー返上です。)
小宅フェンス沿いのハナショウブです。(あまり綺麗でないかも)

では。どちら様も  oyasuminasai sleepy

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2008年1月10日 (木)

診察事始め

昨日と今日、今年はじめての病院詣で?に行って来ました。

昨日は歯科。 今日は放射線科と頭頚科です。

同じ病院なのに診察科が違うと、夫々の主治医の勤務都合もあるので「どちらかに纏めて・・・」という訳にも行かない。(でもなぁ...往復2時間のガソリン代だってバカにならないしよっ。)

歯科には昨年末から5週連続で通っているけれど、放射線と頭頸科は6ヶ月ぶりでした。 久しぶりとは云っても、「センセ、お久しぶり。今年もよろしく!」とはナンボナンデモここでは云えません。

診察の結果は、おかげ様で良かったです。

放射線科の主治医に、「きょねん検査で食道にポリープが見つかりまして・・・」と報告しました。

原発性上咽頭がんなので、食道よりもむしろ喉頭部への転移を恐れていましたが、それだけに食道ポリープは(2~3ミリといえども)驚きでした。

食道・胃・十二指腸の内視鏡検査では、当然のことながら「喉頭がん」の有無もカメラで捉えることが出来ます。

放射線のセンセにこの事も話しましたら、「上咽頭の診察でも、喉頭部はチャンと観察してます」だと。

鼻からファイバーを挿入して上・中・下咽頭を診た後、喉頭部もカメラで診ていてくれたんだと。

やれやれ。 これで取りあえずは、歯も咽頭も喉頭も胃も十二指腸も、(大腸だって1年半前の検査でどうにかパスしたし)“こいつぁ~春から縁起がいいやあー”なのです。

ニューフェイスの食道ポリープは、12月に再検査してどうするかを決めることだし、むしろ早期発見できて本当に良かったと思っているくらいです。

さて、

Photoここは病院の中に設けられた「患者・家族支援相談室」です。 ここでは、パンフレットや掲示板等を通じて貴重な情報を紹介してくれます。

今日はタイミングよく「食道がんについて」でした。 「PDT」という新しい治療法が確立されつつあると言うのです。

詳しくは下の映像をご覧くだされ。 お読み下され。

Pdt Pdt_2当院の放射線部では、この「PDT」治療法で早期肺がん、早期食道がん、早期胃がん、子宮頚部初期がんの消失がかなり期待できるとの事です。(他のがん専門病院でも同様な研究開発が進んでいるのでしょうけれども。)

映像では、ストロボが反射して見辛かったり(石英と書いてあります)カメラを持ったおっさんが写っていたりで、申し訳ないっス。

さて、さて

要は、以前お話したように「がん、何するものぞ!」。。。 恐れないでがんと向き合っていくには、まず「早期発見」が大事なんだな、ということです。

たしかに日本のがん医療の技術水準は、一年毎に画期的な飛躍を遂げているようです。

その様なハイレベルの医療環境に感謝しながら、おっさんは今日、勇気凛々、力強く帰って参りました。

てつの輝き:

最近は病院以外は殆ど外出もしないで、ず~っとパソコンをいじくってばかりいる。 難しいけれど楽しい。

明日は久しぶりに東京に行ってこよう。

たまに都会の空気に触れないと何だか遅れてしまいそう・・・

まだまだ、体も心も老いぼれてはおられん!・・・のじゃ。

 

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2008年1月 8日 (火)

もーちゃんと俺

「もーちゃん」は、確か俺より6つか7つ先輩の兄貴分である。

「もー兄」と出会ってまだ3年ぐらいであるが、同じ病を抱える患者同士として、所属する患者の会で仲良くさせてもらっている。

「兄貴」と俺は、裕次郎の影響を受けて青春時代を過ごして来たと云って良い。 俺たち二人は、だから裕次郎の大のフアンであり、交わす言葉も裕次郎なまりが強い。

「あにい」は身体がデカイ。 裕ちゃん並みである。

まさに「タフガイ」として世渡りをしてきたであろう、そんな風貌を感じさせるもーちゃんである。

そのもーちゃんが体調を崩したという連絡が入ったのは、昨年12月、暮れも押し迫ろうする頃であった。

もーちゃんは、10数年前に奥様をがんで亡くされている。

サラリーマンとして大事な人生の一区切りを付けたかったであろうに、定年前に職を辞されて奥様の看病にあたられたと言う。

そして今、自らもがんを患って苦しい状況の中に身を置かれているのだ。

昨日、もーちゃんを見舞ってきた。

Photo_2自宅を出て国道16号線に入り、千葉穴川I/Cから京葉道路~館山道の高速を経て富浦に出るのであるが、千倉の町に着く頃は生憎の雨模様となってしまった。

もーちゃんが入院しているクリニックは、南房総の千倉というところにある。 目の前に海が広がっている。

俺:(部屋のドアーを開けるや)「もーちゃん!」

兄:(涙で目をつぶっている。両の手を伸ばしてくれている。)

俺:(涙。 両手を取って握手。しばし言葉にならず。)

背中の痛みを抑える薬を服用したばかりだと、看護師さんに伝えられてタイミングの悪さを反省。

だからだ。 「兄貴」は朦朧としているのであろう、声が小さい。 俺もやや難聴である。 俺の耳を口元に近づけても聞き取れず、会話にならない状況が暫らく続いた。

昼食の時間をかなり廻った頃、やっと元気を取り戻してくれた。(やれやれ一安心) 飯を食いたいと言う。 車椅子で看護師さんと食堂に向かった。

「兄貴」は、ややうつむき加減で、飯を持つ手先も弱々しく感じる。 俺は「兄貴」の視線を追いながら、次に食べたい物を察知して目の前に置いてあげる。

この日の前日と前々日は、歩行器につかまって自室から食堂まで歩いたそうである。 元気になっていると看護師さんは言う。 この日も、昼食を取りながら徐々に回復してきたもーちゃん。 嬉しくなってくる俺。

二人の会話が弾み始めた。 もーちゃんの手は大きい。あったかい。

ついに、「あにい」の軽口が飛び出した。

俺:「面会は、なん時頃がいつも良いの?」

あにい:「2時ごろ」

俺:「わかった。この次はそうするから。」

あにい:(口元を微かにほころばせて)「夜中の2時じゃないよっ。」

患者の会で何かと催し事がある時、もーちゃんと俺はいつも一緒だった。

二人が始めて会った年、平成17年の秋の親睦旅行は千倉に近い勝浦に行った。海の見える部屋に同室し、太平洋を見やりながら露天風呂に入った。

この時のもーちゃんは、赤いボデーの乗用車を自分で運転してきた。 そしてこの千倉のクリニックを一緒に見学したのであるが、そのときに決めたようである。 いつか、ここに世話になろうと。

翌年、平成18年の秋には親睦旅行で箱根に行った。やっぱり同室で、何処へ行くにも一緒だった。 気心が知れていて楽しかった。

箱根では朝6時に起きて一番乗りで露天風呂に入ろうと、俺らは前夜から決めていた。 その日の朝、薄暗い中であった。 朝焼けの富士山が見えるではないか! デジカメに収めまくったその時の光景は今も俺たちの宝物である。

二人でこんな話を懐かしくしていたら、また涙が止まらなくなってくるのである。

そうそう。 もーちゃんと俺には合言葉が二つある。

裕次郎の「赤いハンカチ」と「俺は待ってるぜ」である。

もーちゃんと2時間ほど過ごしたこの日、この合言葉を久しぶりに使ったのである。 食堂から自室に戻って、また来るからね!と再会の挨拶をする時にである。

俺:「春になったら勝浦のホテルの露天風呂に行こう。」

兄:(涙ぐんでうなずく)

俺:(部屋のドアーに手を掛けて)「俺は待ってるぜ!」

兄:(うなずいて手を振る)

俺:(ドアーの傍で大声で) 「俺は待ってるぜ!」

もーちゃんのベッドからドアーまで数メートルあるのに、難聴の俺の耳にもはっきり聞こえる大きな声が返って来た。

兄:「俺は待ってるぜ!」

でもよ、「あにい」よ。。。

寝たきりで辛い手を振りながらの大きな声・・・俺は本当に嬉しかったけれど、なんだかやっぱり口元が微妙に笑っていたぜ。

(「夜中の2時じゃないよっ」の、あのジョークと同じ口元だぜ。)

だって、「俺は待ってるぜ」ってさ、まさかもーちゃん、何考えてんのさ。 何処で待つ積もりさ。。。あはは。

いいよ。グフフ・・・。

もーちゃん、元気になってください。

 

 

  

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2007年12月19日 (水)

ニュ-フェイス 

あ゛~っ!、、、また出来ちゃったぁー。

今日は、一週間前に内視鏡検査をした食道・胃・十二指腸の結果を聞きに病院に行ってきました。

いつもの事ながら、朝起きて歯を磨く時から病院でセンセの判決文を聞くまでのこの間は、実に曰く言い難い、厭な憂鬱極まりない一時なのです。

(待合室にマイクで呼び出す主治医の声がひびく。 キンチョー)

センセ:「Aさん、A.Tさん、①番にお入り下さい。」

ボク  :(ノックして)「よろしくお願いします。」

(座りながらセンセのパソコンを見る。 検査の映像が何コマもずらり並んでいる。)

センセ:「胃の方は大丈夫でした・・・。 これ食道ですが、ここに...」

(その部分の一コマが画面いっぱい大写しになる。)

ボク  :(観念して)「大きいんですね。」

センセ:「いや、大きくないです。 2~3ミリです。」

(大写しになった画像では、ソコがとても大きく見えたボクでした。)

ボク   :「やっぱりボクのは転移しやすいのですね。」

センセ:「転移ではありません。」

ボク   :「エッ? は? ほうー?・・・ ▽●×?! なぬ?」

ボク  :「センセ! 悪性ですか?」

センセ:「どっちとも見極めが出来ません。」

センセ:「このまま一年後に再検査して様子見ましょ。」

ボク  :(もそう思うので)「センセ、よろしくお願いします。」

てつのかがやき:

もうポリープが幾つ見つかろうと気にしない。 どこに出来ようと構わない。 早めに見つかってよかったと思っている。

Photo何つうか、これで来年末までオモイッキリ輝いて充実した生を楽しんでいける。 そう思うだけ。 そうするぞぉー。

ありがたいことである。

今できること。 あれもこれもと沢山ある。 よ~し!!

                                  

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2007年12月12日 (水)

先憂亭後楽

先憂亭後楽といっても、今日は落語家の話ではありません。(“笑点”に出てくるソノ方は三遊亭好楽さんでしょ。) かといって、鳴子温泉郷の旅館の名前でもないし。。。

実は今日、心配だった「胃」の精密検査に行ってきたのです。

正確には「上部消化管内視鏡検査」(いわゆる「胃カメラ」)と云われるもので、この検査の目的は、「食道・胃・十二指腸(の一部)」の病気の診断と治療を目的に行われる検査なのです。

「上咽頭がん」から転移しやすいとも云われる「食道」も気になっていたので、この一連の検査はその意味で頼もしい?検査でした。

①前日の夕食は午後8時までに軽く取ること。 ②当日の朝はコップ一杯の水を飲むだけ。 ③当日、車を運転してこない事。 が事前の注意事項でした。

検査の30分前ぐらいに「胃の泡を消す」という紙コップ大の薬を飲みました。そして検査直前に「胃や腸の働きを抑える」筋肉注射をしました。 それからベッドに左横向きになって、口内に麻酔液を2回浴びせられました。 2回ともゴックンします。 管が徐々に挿入されていくのは分かりますが、痛みはありません。

上手な若い女医さんでした。

そうそう、ベッドに横たわる前に、この女のセンセを怒らしてしまいました。

センセ:

「今朝は車を運転して来られませんでしたよね?」

ボク   :

「いえ。 運転して来ました。 すみません。」

センセ:

「(主治医の)K先生からもダメだってお聞きになったでしょ! Aさん(←ボクのこと)は普通に胃を検査に来る患者さんとは違うんです!」

(どうも検査する際に投与する薬或いは麻酔薬がふつう~の人と違うらしい)

ボク:

「ほんとにすみませんでした。」

まあでも、なんとか20分と云う少ない検査時間で無事終わりました。(先生、ありがとうございました)

内視鏡で、「食道と胃」から各1個の組織を採取したとのことでした。

「食道」観察のためにヨウ素を使ったということです。胸やけや、何かがつっかえているようないろいろ変な症状が先ほどまでありました。

でも今はもう大丈びー。

Photoがん専門病院にも、こんなクリスマスツリーが飾ってありました。

入院で闘病中の方も、初診や再来で不安一杯の方も、みんな明日を信じて “ メリークリスマス! ”

てつのつぶやき:

明日は抜歯のため、またコノ病院に出没するんや。 こちらも心配や。

楽しい温泉旅行を最優先に、イヤナコトを後回しにしたから仕方がないさっ。

でも、今日のような検査はいつも自発的に早めにやる様にしている。 大事に至って慌てて苦しい思いをするよりは、早いうちに分かっておれば、日進月歩の今の医学だ、何かと手の打ちようがあるような気がする。

先憂後楽。 せんゆうこうらく。。。

 

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2007年11月15日 (木)

やれやれ…安心?

昨日は病院に行ってきた。

上咽頭にがんが見つかって、来年の1月で早や6年が経つ。 放射線と抗がん剤治療によって、がんは壊滅した模様であるが、今その治療の後遺症に、人知れず?悩み苦しんでいる。

がんの場合、手術や治療から5年が経過すれば「やれやれ…^-^」と云うことになるのであるが、厄介な事に、死んだ振りしたがん野郎がいるので始末におえないのである。

特に放射線治療に於いては、局所のがんに照射しても周囲の正常な細胞にもダメージを与えてしまう、つまりQOL(生活の質―機能障害)の低下を引き起こしてしまう。 だから、がんは沈静化しても、その後5~10年間はその経過観察が必要になってくるようである。

機能障害(後遺症)としては、主に口腔内であるが「唾液分泌障害・歯茎(歯周)の脆弱化」の他に「難聴・耳鳴り」等である。(勿論、主治医からはこのような諸々の障害が起こりうる旨の事前説明があり、私も同意しています。)

エッ?

悪いとこ、「他にもあるだろう」ってか。。。

ずいぶん失礼な聞き方ですねえ。 ま、頭も確かに変には変ですぅ…。

Photo ←コレ、昨日行ってきた病院です。 コノの病院で治療したのですが、ココには歯科もあるんですよ。 実は20日ほど前に歯が1本抜けて、放置していたら歯茎全体が痛くなってきて…。 他にもグラグラ落ちそうな歯がいくつかあるんです。 心配になって行ってきたんです。

口腔内や顎などのレントゲンを撮ってもらって、1週間後に結果や今後の治療方法がはっきりします。 歯の治療って少しずつ時間をかけて、長期戦になるからイヤじゃありませんか?

今回は、歯自体の問題だけではなくって、何だかもっと深刻な事態になってやしまいか…と思うと、少し憂鬱。

この気持ちは…ね。 そう。 晩秋の今頃の「憂いで一杯」の気持ち。

“ 桐一葉 落ちて天下の 秋を知る ”

“ 歯一本 抜けて天下の 秋を知る ”    

とほほ。

てつのつぶやき:

最近「病院の崩壊」が地方でも中核都市と云われる所でも起きている。 これは、「医師不足」に起因しているとハッキリ云っておきたい。

(  の病院は、チョット地震で?ぶれている様な感じだが、崩壊ではないので、念のため) 

しかし、大病院と言えどもウカウカしてられないのである。

医師をもっと増やす施策をとる事。 地域格差を是正する施策をとる事。 専門医教育を進める事。 病院間(勤務医・開業医)の連携がとれて患者側に不利益とならない医療機関の協力体制を早く構築する事。

無駄を削り、「兆」というその金を医療や福祉行政に使って欲しい。

産婦人科・小児科の医師や病院がなくなったらどうなる? 本当に。

今朝の新聞によると、今後10年間の道路整備で68兆円が必要だとか。。。 とんでもない話だ!! ドライブを趣味にアッチこっちの道路を走り回っているが、殆ど車の往来が無い道路が沢山あるっ!

高速を走っていて感じるが、緊急用の電話ボックスが1キロ毎に全国に設置されているそうではないか? 使われているのを見たことが無い!

厚労省も国土交通省も防衛省も。。。省益のみを考えておる。 このままでは日本が危うい。

「日本崩壊」が始まっている。

嗚呼、 心配な事ばっかしで。。。  今宵もまた眠れないぞ。

こんな時は宇宙の話でもしようよ。

Photo_2

これは昨日の朝刊から拝借したものです。

月面周回衛星「かぐや」が7日昼過ぎに撮影成功した。月の向こうに地球が沈む「地球の入り」だそうです。

青い地球をいつまでも美しく大切にしたいものですね。

てつは、これより遅れること12日夕方5時1分に、地球から三日月の撮影に成功した。(12日の記事見てちょうだい)

この日の月の出は8:20 月入りは17:37 だそうな。

 

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2007年8月10日 (金)

暑中見舞い状

Y.Y 君

毎日、毎日、ぐうの音も出ないほどのこの暑さですが、その後元気にしていますか。

当方、おかげさまで良好に暮らしていますので、ご安心下さい。

(死んでなんかいません。 ふふふ…)

過日は大変お世話になりました。 

終日雨に降られましたが、どこにも出かけずに貴君とじっくり話ができたことは幸せでした。

奥方にも手作りの昼食をはじめ、何かとご面倒をお掛けしました。 お礼申します。 どうか、よろしくお伝え下さい。

御地での高校時代の同窓会は初参加でしたが、貴君とは約2年ぶり。

貴君が、がんの手術を受けて闘病中の身であったとは…、驚きでした。

話をしたように、発症してまだ間もないこの時期は、何かと不安は尽きないだろう。 誰しも当然のことです。

でも、がん罹患の先輩として、率直に“ 大丈夫だよ ” という事を言い添えておきます。

それは、ここまで歩いてきた貴君の決して平坦ではなかった人生を、「貴君自身が誇りに思っている」 そのことを僕は見抜いてしまったからです。

がんを患った僕は、過去や未来のことを落ちついて見渡すことが出来るようになりました。 思うに、「俺は精一杯頑張ってきた」という自信と誇りが、がんと向き合って生きていく上で原動力になっているのかも知れない。

人にはそれぞれの人生がある。 人それぞれに自分らしく精一杯生きてきたのだから、全ての人がそれを誇りに感じて良いはずなんだよ。 君、そう思わないか?

ところで、貴君宅の庭には感心して帰ってきました。

木や草花の種類の多さと行き届いた手入れに脱帽です。 レジ袋に入れて持ち帰った朝顔の鉢だけれど、今、ツルがぐんぐん伸びてきています。 そろそろ花ばつけてもよか頃ですたい。

最近読んだ雑誌の受け売りだけれど、江戸時代の詩人で「橘 曙覧」の詩を紹介しよう。

“ たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時 ”

僕は、こういう小さな喜びや楽しみを君と共有していることを嬉しく思っています。

最近、デジカメに凝っています。 写真をいくつか同封します。

昆虫は外で撮ったもの。 花は拙宅の箱庭で。

それでは、くれぐれもお体ご自愛下さい。

追伸:

温泉湯治の事だけれど、会津でもどこでもいいからね。 時期も体調と相談しながら決めよう。

A.T

                

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2007年7月 5日 (木)

上咽頭がん体験記 -1-

昨日は、上咽頭がんとその転移がんの定期診察日でした。

上咽頭がんとは、口と鼻と耳が交差する鼻空の奥にできる悪性腫瘍のことです。 日本人に多い大腸や胃や肺等に比べると、比較的珍しい部位だそうです。

このがんが見つかって、昨日で約5年半が経過しました。 治療を受けた病院の5年生存率が40%なので、やれやれオメデトウということになります。

今でこそ “ おめでとう! ♪ ” なのですが、当時は本当に苦しかったです。(涙。そして涙。大粒の涙。)

大腸がんの開腹手術を受けて4年が経ち、仕事も意欲的に取り組んでいた矢先でした。

「がん、何するものぞ」! 体調面でも自信を取り戻しつつあった頃のことです。 再発でも転移でもない、この新たながんの発症は、頚部リンパ節転移というオマケまで付いたものでした。

「絶望」 でした。

全てに望みを失いました。

しかし、

がんという病は不思議な病です。 心身がノタ打ち回って、ある種「地獄とはこういうものか」と、それを垣間見るような日々の動静の中で、かつて経験した事のない新しい、しっかりした生きる力を芽生えさせてくれたからです。

上咽頭とリンパ節がんは、両方とも放射線と抗がん剤の治療を受けました。

昨日のファイバーと触診による診察でも問題点はなく、一年ぶりの精密検査も必要ないとのことでした。

症状の事、放射線や抗がん剤治療の実際、入院生活や退院してからの後遺症の悩み、今尚ある怯えや不安な気持、生活の事・生き方のこと等…、ここで、これからも私自身のために記録に留めて行きたいと思っています。

いつも気まぐれな男です。 次が病気の事とは限りませんけれども。

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2007年5月11日 (金)

格差社会

最近、新聞・テレビでよく聞く言葉に「格差」というのがあります。

雇用格差、賃金格差、医療格差など…、このような社会現象をどう是正していくかが、今話題になっています。

(規範を守るということが前提の)自由な社会ですから、誰でも努力すればしただけの結果が得られますし、それに見合う豊かさを享受できる仕組みになっています。

でも、世の中がどんどん複雑化、高度化していく中で、今まで通用していた構造的な仕組みが少しずつ有効さを失い、努力しても報われないという結果が生じるのも事実です。

「医療格差」の問題にしても、例えば、大学病院のあり方について、医療の研究、医学生の教育、そして医療の提供という3つの柱を見直したことで医局制度にひずみが起きて、医師不足や医師の偏在という問題に拍車が掛かっているそうです。(原因は他にもたくさんある中の一つですが)

もちろん医療については複雑な問題点が山積していて、特に患者にとっても心配な医師不足の理由は他にたくさんあるのです。全くどうでもいい医師は、どうなってもいいのです。有能な医師が少なくなっていくと、医療界は更に消沈して悪い方向へと向かっていく事でしょう。 困った問題ですね。

これまで異なった座標軸にいた行政と医療者と患者が、まとまった一本の軸になって、がん医療制度を見直していく制度が確立しました。この制度に立って、患者も大いに良識を示し医療崩壊を食い止めたいものです。

私の好きな言葉に、「中庸」というのがあります。「中」には、違ったものを結び合わせるという意味があります。違ったものを結び合わせて新しいものを創っていく。この中庸の精神が物事を進化させていくのに必要だと「本」に書いてありました。 読みかじりデス。 エへへ…  (^o^)

「患者は患者だけで」 「医療者は医療者だけで」という同質の結びつきだけでは医療の進化の先は見えてきません。 「異質の人」 「異質の体験」 「異質の環境との出会い」によって、人は進化を深めていく事ができる、ということかも知れません。

それぞれの立場での構造改革を断行して、裸で議論をし、一刻も早く「医療格差」が解消されることが望まれます。

(行政側も、もっと シッカリ してくれよナ。) 勝手なこと云って… m(._.)m

Img_0252 写真は、先日、愉快なヤロー友と浅草に行った時のもの。伝法院通りで見かけた「ねずみ小僧」です。悪徳商人から千両箱を盗み、努力しても報われない人々に恵んでやろうというのである。 ねずみ小僧は、「格差是正」の元祖なんですよ。

 

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2007年2月16日 (金)

大腸がん体験記

大腸がんのサバイバーとなって、もう8年半になりました。当時から境界型高血圧症と軽度の痔病はあったものの、それ以外は全くの医者知らずでした。当時はイキのいい自信たっぷりのサラリーマンでした。仕事中心の生活からくるストレス、酒、たばこ、肉類中心のアンバランスな食事など大腸がん発症の要因といわれる全てを取り入れた生活の日々でした。がんになるべくしてなった、そんな思いで一杯です。

平成10年8月、お盆前後の長期夏休みを利用して、少し気になっていた黒ずんだ便と、微量ながら時折り鮮血が付着する事などについて診てもらおうと、近くの総合病院に出向きました。私から概ねの症状を聞いた胃腸科の医師は、肛門からの触診を始めました。「この出血は痔病によるものではありません。下血です。すぐに入院手続きを取ってください。」この事態を多少は予測していたので、その日はゆっくりと風呂に浸かり、翌日6人部屋に入りました。入院してからは、採血、胸部レントゲン、心電図など通常の検査です。そして徐々に食事制限や下剤の服用からCT検査へと、気分も重苦しい雰囲気に変わっていきました。いよいよ結果が出て、家内と二人がナースステーションに呼ばれました。CT画像を見せられながら、主治医の告知を受けました。「初期の直腸がんであること。転移はないこと。手術日のこと。」等でした。入院して12日目に、全身麻酔の状態で開腹手術を受けました。手術に要した時間は2時間40分でした。手術前後の体重は15キロも減って、48キロになっていました。

ご存知のように、大腸は盲腸と結腸と直腸からなっています。小腸から繋がって、上行結腸 → 横行結腸 → 下行結腸 → (S字結腸) → 直腸 → (肛門) という順序です。

私は今、当時の主治医直筆による、「外科手術記録」のコピーを見ながら生々しく、少し恥ずかしく思いながら、これを書いています。8年以上も前のこの記録、実は昨年夏に入手しました。その理由については、別の機会に譲ります。私の主治医は、お世辞抜きで、とても優秀な外科医だったと思っています。5年前にこの総合病院で、原発性上咽頭がんとその転移がん(頚部リンパ節がん)が新たに見つかった頃、先生は東京にある大学病院に戻られたということを漏れ聞きましたが、定かではありません。そして私もまた、放射線治療を受けられる病院を紹介されて転院しました。主治医は、施術だけでなく人間的にも魅力のある医師でした。

さて、その記録によると、術前の内視鏡検査の結果では、直腸の腫瘍と共に、上行結腸と下行結腸のそれぞれに直径9ミリと8ミリのポリープが見つかっていたようです。この事は告知時にも聞いていなかったので、記録を見て大変驚きました。ま、しかし、(患者の私が心配するほどでもない)良性のポリープだったから話さなかったと、そう信じています。医師との信頼関係は妙な気持から生まれてくるものなんですね。あ・うんの気持というのか、曰く云いがたい、言葉の力ではない、そんな感情が入院中に日々醸成されて、「よし、この先生にお任せしよう。この先生が俺の主治医だ。よろしくお願いします。」ということになるのかも知れません。

結局、この二つのポリープは内視鏡で切除したのではなく、開腹手術時に直腸がんと一緒に切除したものだろうと思っています。そう思うのも、開腹したお腹の傷が、私の場合、ちょっと大きすぎるような気がするからです。おなかの傷については、このぐらいにしておきます。

皆さんは、大腸の長さがどのくらいか、ご存知ですか?人により違いますが、100センチから150センチだそうです。そしてその中で、直腸は10~15センチだということです。私の外科手術記録に「ほぼ実物大」として、切除した部分の丁寧な図が手書きされています。これを見ると、手術で切り取った直腸は8センチ前後になります。

兎にも角にも、こうして約50日間の入院生活が無事に終わりました。そして、1ヶ月の自宅療養で体力をつけながら、職場復帰を果たしました。私は入院に当たって、特に慎重な病院選びをした訳ではありません。偶然にも近くの総合病院で良い外科医に恵まれたということです。おかげ様で、直腸がん手術部位周辺にありがちな色々な機能障害なども一切なく、元気に生活できている事に感謝しています。勿論、主治医をはじめ、看護師、検査技師、麻酔医師など、お世話になった全ての方々にも感謝しています。

投稿後記:大腸がん体験記は「外科手術記録」を基に綴りました。この「記録」を始めて見たのが昨年の夏でした。実録の内容と、てっちゃんが勝手に想像して書いた内容とはやはり違いもあると思います。しかし、今となっては主治医に本当のことを確認することもできません。上咽頭がんや頚部リンパ節がんの治療を受けた転院先の病院で、年に1回大腸がんの内視鏡検査も受ける事になっていますが、この時にでも「記録」のことを確認したいと思っているところです。ところで、皆さんが手術や治療を受けた(受けている)病院での「病状のデータ開示」は満足のいくものでしょうか?

さて次回のお話ですが、続けてがんの事ばかりでは聞くも語るも体が膠着してしまいそう…。だから次回は何か楽しい話でも、と思っています。タンゴとか、シャンソンとか、映画音楽なんか聴きながらね。そうそう、硯箱の傍には、ワインも置いてありますよ。次回もどうぞリラックスしておいでください。待ってま~す!!

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2007年2月10日 (土)

ダイエットと納豆の関係? ウーン…

「納豆にはダイエット効果がある。」 テレビで喧伝されて、それが捏造であった事が判明し、かなり日にちが経ちました。それにも拘わらず、ダイエット食品やサプリメントの広告が、未だに後を絶ちません。効果が無いのは納豆だけではないそうです。あれがいい。これがいい。そんな売り手の思惑にうまく乗せられていたようです。

私は納豆が大好きです。私が納豆を初めて口にしたのは、上京して一人暮らしを始めた18歳の時です。アルバイト収入と奨学金で極貧の生活をしていた頃、アパートに近い荻窪駅線路沿いの定食屋で、一番安いメニューであった「大盛のどんぶり飯を味噌汁と納豆で頬張った時です。今でも朝食に納豆は殆んど欠かしたことがありません。 余談ですが、私の納豆の食べ方について、しばしお話したいと思います。まず、タレ・カラシ付き納豆を椀に移します。次に、白ねぎを納豆と同じほどの分量に細かく刻んで納豆の上に載せます。それを箸で50回ほど手早く、強く、かき回します。そして最後に、その上に大根おろしをのせて軽く混ぜます。後は、小分けしてご飯にのせて食べるだけ。 ゴックン。

さて、納豆に限らず、「いろんな食材・健康食品・サプリメント」と「ダイエット」との関連についてお話させてください。宣伝されているような効果的関連の信憑性は殆ど無いと言えるのではないでしょうか。但し、だからと言って、「そのようなモノにお金を投ずるのはムダだ。とか、飲食・服用するのは、やめなさい。」とは云えません。 長年摂食を続けたそのおかげで、体調が維持されているとか、良好な結果が得られているという自分自身の納得があれば、風評に惑うことなく続けていくべきと思います。ダイエットに関して云えば、「決まった時間に食事を取る」「腹8分目」「偏食せず、バランスのとれた食事を取る」「間食をしない」といった肥満防止の基本に加えて、「朝食は、毎日しっかり取る」という事の大切さを認識することではないでしょうか。今学校では、「早寝、早起き、朝ごはん」という教育がなされているようです。とてもよい事だと思います。子供も大人も「朝食をしっかり取って、そこから得たエネルギーは貯めることなく、その日一日の活動で燃焼し尽くす。」 これでOK。 ダイエットの心配をする必要はありません。

不肖てっちゃん、ただいまの身長173cm、裸体重59㌔なり。そして朝食をシッカリ取って、体重増は1㌔なり。 燃焼してるか、だって? そりゃ、もう…、こうして硯箱に向かっては無い頭を使ったり、知人と接して話をしたり、ウォーキングしたり、結構忙しく、毎日毎日燃え尽きておりますぞ。

(投稿後記:今日は、初めての投稿筆おろしだったので、病気の話にしようか、それとも…と考えてしまいました。今は何となく、詳しいがんの話はしたくないなあーって、そんな気持です。なんでだろ…。

 

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