緩和医療
・・・ 2002年(平成14年) 1月 ・・・
かつて大腸がんの手術を受けた地元の総合病院で、″「上咽頭がん」の疑い濃厚 ″を通告された私は、その病院の紹介状を持って がん専門病院 を訪ねました。
どうか誤診でありますように!・・・しかし、その一縷の望みも断たれて・・・再び、がんの告知を受けたのです。
大腸がんに続いて二度目の告知でした。
がん患者にとって「辛い事」 ⇒ 文字通り 「死ぬほどつらい事」は、
※ がんの告知を受けた時
※ 治療の中止を知らされた時 ・・・です。
知らされる患者は勿論のこと、知らせる医師もきっと辛いと思います。
※ 治療の中止を知らされた時 とは、
抗がん剤等 ありとあらゆる治療を尽くして来たが、「その効き目も限界となり、これから先の治療方法が無くなってしまった。」 と云う 医師からの通告を受ける時です。
~~~ 私は未だその様な通告を受けたことはありませんが、「その時」になったら どうするか?・・・時々考える事があります。 ~~~
========
入院して本格的な放射線治療が始まった頃、・・・ そう、それは2002年2月中旬でした。
放射線病棟の、たしか三階だったと思いますが、検査のため「MR室」に行く途中 綺麗に手入れされた広々とした中庭が目に止まりました。
梅の花が寒さに耐え震えながら、少し咲きほころんでいた頃でした。
「これから先、いったい俺はどうなるんだろう?」・・・私もまた、震えおののいていました。
大勢の同病者が周りに居て寝起きを共にしていると、無言の中にも励ましの気持ちが湧いてくるものです。
そのような仲間達の支えで、私にもやっと緊張感がほぐれてきた頃でしょうか・・・気になっていた中庭に行ってみたくなりました。
一階の放射線病棟につながる細い廊下を少し進むと、左側に中庭に入るドアーがありました。
そしてその廊下の奥に別棟があって、その建物が「緩和ケア病棟」である事を知ったのは、それから数日後でした。
入院前の精密検査や治療のための綿密な準備期間、そして入院して治療を受け退院するまでの長い病院生活を通して、周りの状況にも詳しくなりました。
1月から6月まで、この中庭で私は多くの花にめぐり合いました。
梅の時季、紅梅と白梅を交互に見ながら顔を近づけては早春の匂いを感じ取りました。
桜の時季、暖かい春の陽ざしが私の心にも射し込んできて、生きる勇気をもらいました。
色とりどりのチューリップの競演を長い間しゃがみ込んで見とれていました。時を忘れて。。。
(今、わが家の小さな花畑には一週間前に植え込んだパンジー、ビオラが元気に咲いています。・・・花達はこれから寒い冬を肌で感じながら、やがて春ともなると、更に生き生きと輝きを増すのです。。。)
そう。 そうなのです。
この中庭にも ひと冬を越したパンジー、ビオラが元気に美しく咲いていました。
辛い冬を体感してきたのにその様な事はおくびにも出さないで、陽光の中、にこやかに笑顔を振りまいていました。
いつもパジャマ姿で歩いていた私。
中庭には築山や池があって、車椅子の人が一人佇み ゆっくりと泳ぐ鯉を見ていました。
気が付きませんでした。
声も掛けずにそっと後戻りした私。。。それで良かったのかどうかよく分かりません。
私もまた、恐怖におびえ落ち込んだままで治療を受けている身です。
車椅子の人の状況をハッと感じ取った私は、そのことがあって以後中庭には決して入ろうとしませんでした。
========
「もう これ以上治療する方法が無くなりました。」
私は延命治療は望みません。
その時点で自分の生に見切りをつけて、遠からず来る今生との別れを少しずつ自らに納得させながら、安らかな死の準備、家族との悲しい離別に耐えられる準備をしたいと思います。
私が終末期に於いて、例えば気管にチューブを入れなければならない時にも 「それはやめて欲しい」と、はっきり云いたいと思います。
それが、たとえ栄養補給のためであっても 「その様な点滴はしないで欲しい」と、云いたいと思います。
私は緩和医療でお世話になる医療機関に或いは民間のホスピスに対して、きちんと詳細にこの事を文章にして託して置きたいと思います。
私にとって治療方法も無く急速に「体もこころ」も衰えていく時に、苦痛を軽減してくれる治療であれば喜んで受けたいと思います。
痛く危険な思いをして体のあちらこちらにチューブを付けて生きるのは辛い事です。
人工呼吸器で呼吸が楽になるよりもモルヒネで楽になるのであれば、是非モルヒネの投与をお願いしたいのです。
最後の最後まで苦しみながら生きる(生かされる?)そんな病院 真っ平だ!
![]()
ついでに、私は「脳死は人の死ではない」と考える立場の人たちとは組しません。
私は「脳死は人の死」だと思っています。 だって、脳から「呼吸しなさい」と云う指令がもはや出ていないのに呼吸し続けるのは 人工呼吸器 を付けているからであって、これでは「生かされている」のであって、自力で生きていることにはならないからです
========
今、「がん対策基本法」が出来て、緩和医療についての考え方が変わってきました。
かつて緩和医療とかホスピス医療と呼ばれた頃、治療を目的とした医療ではなく症状を和らげることを目的とした末期の患者に対する医療であったのですが、最近は、がんと診察された初期の段階から「治療と並行して緩和医療も行なわれるべき」という考え方が定着しつつあるようです。
体に発症したがんそのものの根治と、がんに因ってもたらされる様々な肉体的・精神的疾患を診てもらえる様になり、患者としては大変喜ばしい方向に向かっていると考えます。
========
てつのつぶやき:
緩和医療の事については、まだまだ話し足りない気がする。
例えば僕の場合、「家族とのかかわり」についてである。
僕は畳の上では死にたくない。
病院やホスピスのお世話になりながら彼岸に行きたいと考えている。
僕が自宅に居る事で、今以上の苦しみを家族に与えたくないから。
家族の者が僕の苦しみを日々 脇で見ながら、一方で同じように僕もまた、そのような家族の苦しみを見ながら死んでいくなんて・・・双方にとって、二重、三重に・・・こんなに心苦しく悲しいことはない。
ところで、緩和医療は(それが病院にしろ、民間のホスピスにしろ、)保険の適用が認められているそうだ。
がん患者の医療費についても考えて行きたい。
がん患者だけの問題ではないが、一人ひとりが無駄な医療費を掛け過ぎて医療崩壊を招いているのは明らかであると思う。)
~~~~~~~~
そうそう・・・
僕は今こうして書きながら思ったのだが、、、
今だったら池の鯉の傍で車椅子の人の話を聞いてあげられるような気がする。
勿論 それは語り掛けられた時のことであるが。
花を見ながら、二人で花たちに語りかけながら、、傍に居て支えてあげられるような、、、気がするのである。
このような 「パンジー」や「ビオラ」の可愛い笑顔を見てもらいながら・・・ね。 ![]()
~~~~~~~~
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)

← こいつは「-続- 夕陽のがんマン」(地獄の決闘)に主演で出た時の俺だ。
← これは検査当日の朝、病院で支給された下剤です。






























